ちゃおチャオブログ

日々の連続

宮古の4日間(33)伊良部島を半周し、下地空港へ。

名前は知らないが、伊良部島北側の浜辺。

 

人口の少ない島、コロナ禍で観光客もやって来ず、砂浜だけが広がっていた。

 

この後の3月、師団長を乗せた陸自ヘリが、この海域に墜落するとはこの時は全く想像も出来なかった。

 

島には休めるような喫茶店も無く、下地空港へ向かった。空港手前に人気のないリゾート施設があり、寄ってみる。

 

 

人口の少ない伊良部島。それに今はコロナ禍で観光客も途絶えている。島の北側に何と言う名前のビーチか、綺麗な砂浜が広がっている。しかしそこには島の人も観光客も誰もいない。無人島の島へ来たかのようだ。天候もやや優れず、晴れていたかと思ったら、突然の驟雨に逃げ惑う。道路も直ぐに冠水する。

 

雨の上がるのを待って急いで写真を撮り、車に戻る。時間は下るが、この時から3か月後の3月下旬、宮古駐屯地を出た陸自の大型ヘリは師団長他陸自幹部を載せ、理由も分からず、この先の海上に落下した。それから3か月経った現在、6月下旬になった今も陸自からは墜落の原因は全く明かされていない。陸自に取っては何か隠して置きたい事情でもあるのかと、勘繰りたくもなるが、おかしなことにマスコミも又騒ぎ立てない。あれ程毎日ウクライナ戦線で騒がしく報道しているマスコミが、この日本の重大事件に関しては、全く水を打ったように静かだ。何かがあったと思わざるを得ない。

 

1月半ばのこの時の旅行では、3か月後に発生する某重大事件などは全く想像も出来ず、くすんだ海原が広がっているのみだった。車を反転させ、どこか市内に一休みできる喫茶店でもないかと、車を走らせたが、通り自体は僅か2-300m程で、そんな洒落た喫茶店はおろか、雑貨店すらもなく、1軒だけ家電店があったが、それも営業しているのかどうかすらも定かではなかった。町は発展しかけた途中で衰退して行った様子だった。だが、各住宅の門扉の上には大小様々なシーサーが置かれていて、大さんに車を停めてもらって写真を撮るのも申し訳なく、首を左右に振っては通りの両側のシーサーを眺め、通り過ぎた。結局、この町でコーヒーを飲むのは諦めた。

 

再び川幅10m程の水路を通過して下地島に入る。空港手前に1カ所リゾート風の施設があり、ダメ元とは思ったが、その施設に入り込み、中央のレストラン棟に横付けし、或いはひょっとしてここは開いているかも知れないと、入り口まで行ったが、矢張りそこも固く閉ざされていて、コロナ禍の影響の大きさを思った。飛行機までにはまだ1時間以上ある。が、空港に行けば、何かはある筈だ。大さんのレンタカー返却の手続もある。少し早目だが空港へ向かった。

 

矢張りここもダメだったか・・。コロナで休業中だ。

 

時間は早いが下地空港へ戻り、レンタカーを返却する。

 

出発ロビー。土産店は開いているが、既に土産は買ってある。

 

ビールではなく、コークを飲んで出発までの時間待ちをする。