ちゃおチャオブログ

日々の連続

孫と一緒の沖縄旅行(16)戦跡公園の遊園地で。

青い海と海岸は75年前と変わらない。

 

  • 6月24日、牛島満はこの場所に於いて、最後の戦いを挑み、散って行った。

  • 平和の礎(いしじ)。沖縄戦、20万人の犠牲者がこの礎に刻まれている。

摩文仁の丘にある「平和の礎」(いしじ)は毎年のようにテレビの映像で見ているから、こへやって来た時も既視感はあった。それが以前来た時に見た時のものか、テレビ映像の中の残像なのかは定かに判断できない。以前もここには数回やって来たが、実物を見たのは今回が初めてかどうかが判然としない。自分の記憶の中ではなだらかな丘陵のあちこちに各県の慰霊碑が建っていて、静岡や千葉の慰霊碑を探したが、今日シナ海に面する断崖絶壁も見たが、以前にはこのような展望テラスは無かった。40数年の間には、この戦跡公園も大きく整備され、全く初めて来るような感覚だった。

平和の礎は確かに以前一度見た。御影石に犠牲者の名前が一人一人刻印され、その名前を辿って行った記憶はある。しかし、それがいつの事かは覚えていない。6年前だったのかも知れない。今回は入館できなかったが、確かに以前、記念館に入った記憶はある。そのテラス状の礎(いしじ)を通る抜け、右奥の丘の上にある遊技場に向かう。子供達に取っては何の変哲もない礎よりかは、大きなジャングルジムとか、長大なすべり台で遊んだほうが楽しいに違いない。ここへやって来た、子連れの家族も同様に何組か遊んでいる。何でこんな場所にこれ程大掛かりな遊技場があるのか不思議に思ったが、子供たちに取っては、戦跡よりはこちらの方が余程か楽しいのだろう。

子供同士、直ぐにも友達になり、一緒になって遊んでいる。ママ友ではないが、親同士が立ち話をしているが、一人の家族は北海道からやって来ているようだ。将兵10万人の戦没家族は全国に散在している。ママ友はそんな遺族ではなく、単に観光で来ているのかも知れない。内の家族がそうであるように。子供たちは遊び飽きるということを知らない。黙っていたら、いつまでも遊んでいるに違いない。帰りの時間もあり、親に言って次のひめゆりに寄って、那覇に戻ることにした。

 

随分大きくて、綺麗な戦跡公園に整備されている。

 

以前はこんな広々とした園ではなかったが・・。

 

  • 丘の上に遊技場があって、子供たちは時間を忘れ遊んでいる。

     

    いつまでも遊んでいて、切が無いので、引き上げることにした。