ちゃおチャオブログ

日々の連続

孫と一緒の沖縄旅行(15)首里城から南部戦跡へ。

守礼の門の前では観光客向けの貸衣装が目を惹いた。めんそーれ、いらっしゃい!

 

観光客も増えて、多少は息を吹き返しているだろう。

 

首里城近くの住宅地。子供たちが戻って来るまでの、随分と時間がかかった。

 

首里城からは一直線に摩文仁に向かった。

 

 

前回友人グループで首里城へ来たのは6年程前で、その時は火災の前だった。その時もイナさんと自分は城の外で待っていて、初めてのネギさんとヨシさん二人が城内に入って行ったが、それ程待たずに出て来た。今回も同じように考えていたが、孫家族は中々出てこない。火災修復後のまだ一部工事の残っている足場とか、迷路のような城内に時間が掛かっているのかも知れない。想定の3-5倍もの長い時間が掛かって漸く家族は出て来た。

 

沖縄観光最後の1日、今日は首里城を見てからはこれから南部戦跡、摩文仁(まぶに)の丘に行く予定だ。43年前、沖縄を離任する最後の週、前日最北端の辺戸岬まで行き、翌日、南部の摩文仁まで行った。そして、引っ越し前に車を手放した。その5年前最初に沖縄に赴任した時は、住んでいた千葉から車まで運び、暫く習志野ナンバーで走り、地元の人には珍しがられたが今回離任するに当たっては、車は処分した。古い車に対し引っ越し費用の掛け過ぎだ。

 

首里城を出た車は、一昨日の佐敷村にある玉泉洞、今は南城市の沖縄ワールドとなっていたが、その道を通らず、首里から空港のある豊見城の横を通り、真っすぐ南部に向かう。いろいろ新しい道路が出来て、観光利便性を考えてのことだろう。道路が出来てもまだ街並みは形成されず、雑種地のような、多分以前はキビ畑のような原野を走り抜け、一直線に摩文仁に向かった。

 

以前にはこんな直線道路も無く、糸満から海沿いの国道を通ってやって来た。昨日走った国道58号線は、鹿児島からスタートし、種子島奄美大島を通って那覇に至る海の国道だったが、那覇から先は別の国道になって、石垣島まで達している。以前は海岸沿いの古い町並みを通り抜け、最後の突き当りが摩文仁だったが、今回は雑種地の先に摩文仁が突然現れた。

 

ここへ来たのは実に43年ぶりだ。南部戦跡は大きく変わって、整備されている。全体が広々とした戦跡公園になっている。駐車場も広々と整備され、あちこちに見慣れない記念碑、記念塔などもできている。当時はまだ平和の礎(いしじ)は出来てなく、車で各県の慰霊碑が立ち並ぶ敷地の直ぐ手前までやってこれたが、今は随分遠方の駐車場から歩いてやってきた。

 

戦跡記念館は工事中で入れなかった。

 

摩文仁の丘は、広々と公園風に整備されている。

 

沖縄戦、最後の断崖。多くの兵民がこの崖まで追い詰められた。