ちゃおチャオブログ

日々の連続

第2回西国観音霊場大阪編(5)第23番勝尾寺を下山。

  • 本堂の横には大きなケヤキが立っていた。

         

下山路は登りの参詣路とは別になっている。

 

少し先には綺麗な多宝塔が建っていた。

 

道路のあちこちにミニダルマが置かれている。

 

下に大きな池があって、参詣者が餌やりをしている。

 

 

箕面勝尾寺はダルマのお寺と言われるように、参道のあちこちにミニサイズのダルマが置かれている。まるでダルマの陳列参道だ。自分は以前達磨大師が8年間修業した中国少林寺へ行ったことはあったが、そこではダルマの置物など一つも目にしなかった。達磨大師とダルマの結びつきは日本独自のものかも知れない。群馬県高崎市少林寺がダルマで有名だが、江戸時代、このダルマを流行らせ、その売り上げが目を瞠るものがあり、この勝尾寺も真似をしてダルマを売り出したのだろうか。いずれにしてもこのお寺は霊場巡りの巡拝者よりもダルマ目的の参詣者の方が多いようだ。

中国少林寺は洛陽の近くにあり、自分は洛陽に1泊して少林寺日帰りバスツアーに参加した。25-6人のツアー参加者は全て中国人で、それは日本の阪急トラピックスの日帰りツアーと殆ど変わらないものだった。ただ昼食は中国式の大きな回転式丸テーブルで、中国人の食欲旺盛さには感心した。お寺に入って直ぐの場所に少林寺拳法の演舞場があって、数十人の演武者が棒術のような拳法を披露していた。達磨大師は5世紀の人で、インドからベトナム経由でやってきて、この少林寺に止宿し、都合8年に及んだが、そこから壁面8年の修行が行われ、日本の伝承によれば、その結果足が萎えて、ダルマのようになったと言われる。いずれにしても少林寺には歴代住持の石塔が林立していたが、その中でひと際立派な石塔が達磨大師のものだった。

参詣者に混乱が生じないように上りの参詣道と下りが別の通路で作られているのは、先般参詣した清水寺がそうだったが、ここ勝尾寺も同じように行き帰りを別の通路にしていた。矢張り年末年始等の特定日には沢山の人がお参りにやって来るのだろう。大分下って来た所に池に面して赤い鳥居の神社が建ってる。弁天さんだ。海の向こうから財宝を運んでくる弁財天。ここにもお参りして、その下の大池に下る。宝生池なのか沢山の錦鯉が人影を見てはやって来る。餌の売店もあって、餌を求めてやってくるのだ。池の畔では小さな子供を連れた家族が餌をやっている。平和な光景だ。

 

  • 池の畔には弁天社が建っている。

  • 沢水も豊富に流れている。

     

    子連れの家族が緋鯉に餌をやっている。


    沢山の鯉が宝生されていた。


    今回、最初の霊場として、印象深い寺だった。