ちゃおチャオブログ

日々の連続

第2回西国観音霊場大阪編(12)大阪中之島NCBホテルにチェックイン。

大阪は水の都。中之島は名前の通りに両側を川が流れている。

 

日銀大阪支店。

 

夕食には少し早いが、ホテルの前のオアシスのイートインで夕食。

 

今回巡礼の宿NCBホテルは中之島の中にある。チェックインして分かったのだが、このNCBは「中之島センタービル」の略称で、中之島自体が高層ビルの林立するビジネス街ではあるは、このセンタービルも同様で、30階建て以上の高層ビルの中の中層階をホテルに使用している。賑やかな梅田とか南の繁華街ではなく、こんなビジネス街のど真ん中のホテルにしたのは、エアトリの予約で、飛行機代とホテルがセットになっていて、自分では選べなかったからだ。自分から好き好んでこんな夜は何もないビジネス街のホテルにした訳ではないが、ただ最後の日、もしも時間があれば、この中之島にある東洋陶磁美術館に寄ってみたい希望もあり、そこに近いこのホテルでもまあ良いだろう、との気持ちだった。

東洋陶磁美術館は随分以前に一度行ったことがあるが、そこはバブルと共に消えてしまった旧安宅産業、最後の御曹司が買い集めた東洋陶磁器を会社倒産後に市に寄贈され、安宅コレクションとして美術館となったものである。後年上海の美術館で、沢山の中国陶器を見たが、それよりも10数年も前に来たこの安宅コレクションは素人の自分が見ても、陶器の美しさが感じられた。機会があればもう一度見てみたい気もあった。

中之島に日銀大阪支店があるように、この大川~堂島川に出来た中洲は関西経済圏の中枢であった。古くは江戸時代、この場所に米相場が作られ今は北浜の証券取引所に引き継がれている。世界でいち早く先物市場も作られた。この中洲の少し上流に八軒家という船着き場があり、その周辺は綺麗に整備された遊歩道があるが、ここは江戸時代の大阪ー京都間の淀川舟航の始発点になっていて、元禄年間芭蕉が享年50で城下の門弟宅で急死したが、その死の直後遺体は弟子達によりここから淀川を上って、琵琶湖畔にある菩提寺、義仲寺に運ばれた。又幕末にはこの近くにあった中津藩下屋敷で、福沢諭吉も生まれている。大蔵省造幣局は日本で唯一大阪にあるが、この近くの大川端に面する桜の通り抜けは見事なものであり、観桜を芸術の域に高めている。

大川は中之島辺りで堂島川と名前を変えて大阪湾に注いでいるが、そこには国土地理院の地図上で一番低い山天保山があり、そこは僅か高さ5mもない小山であるが、自分がここへ来た当時にはまだユニバーサルスタジオは出来てなく、代わりに海遊館があって、巨大な水槽は全国からお客を集めていた。その先は大阪湾の人工島で、ポツンと一つだけヒョロ髙いビルが建っていたが、それは東京浜松町の貿易センタービルの向こうを張った東京よりも高い大阪貿易センタービルで、交通の便が悪く入居率は3割にも満たず、巨大な箱物行政の見本になっていた。時代は変わり、今はこの埋め立ての更に沖の埋め立て地夢洲で来年は国際見本市が開かれる。従来大阪にあった本社がどんどん東京に移転して行き、地盤沈下に見舞われている大阪人にとって、その地盤沈下を喰いとめ、盛り上げる賢明な努力をしている一つの表れだ。

夕食にはまだ早いが、この辺りのオフィス街には飲食店も無く、コンビニもないだろう。ホテルのワンブロック手前に阪急系列のスーパーオアシスがある。中にはイートインもある。ホテルにチェックインしたら、又食事に出るのも面倒だ。最寄りの地下鉄駅阿波座までは5-6分も歩かなければならない。ここで簡単な夕食を取って、チェックインすることにした。

 

シングルだが、綺麗な部屋だ。

 

部屋からは市内の高層ビルが見える。

 

大阪は実に繁栄した都市だ。

 

中之島周辺の各種施設。