ちゃおチャオブログ

日々の連続

6.4(火・晴れ)言論の自由な米国と自主規制の日本と言論封殺の中国。

 

 

米国は全く自由な国だ。犯罪行為でない限り、行動も自由で、個人の意思で発言、行動が出来る。元大統領が犯罪行為で起訴され、市民から選ばれた陪審員が自由な意思で評決を下す。元大統領とは言え、毎週裁判所に出頭しなければならないし、長時間法廷で辛抱しなければならない。

 

今日は又バイデン大統領の息子が犯罪行為で起訴され、裁判が開始された。大統領と息子は別人格だから、親が大統領とは言え、息子が犯罪を犯したら、法に従って罰せられる。実に公平で、自由で、誰かを忖度することもない。犯した犯罪は、大統領職にあれば免責特権があるが、辞めた後では一般人と同じに罰せられる。元職に対する忖度も遠慮もない。

 

日本ではこうはならない。本来は時の政権を追求すべきマスコミが誰に遠慮しているのか、矛先が鈍り、大胆な追及はしていない。森掛け、桜見る会、河井選挙買収、等々、追及し、明らかにすべき点は多々あったが、強権者の安倍に対しては、追及らしい追及も行われず、その間に安倍自身が暗殺されてしまった。その暗殺犠牲者をトンチンカン総理は何を思ったのか、国葬にした。後先、何も考えずに自己の利益のみを考えた結果なのだろう。歴史に「IF」はないが、もし安倍が暗殺されていなければ、今回の安倍派裏金問題も表沙汰にはなっていなかっただろう。現にもう一人の裏の顔役は未だに安泰だ。

 

日本には米国のような言論、行動の自由はないが、それでも今の中国と比べたら天国だ。今日は35年前、北京天安門広場で、民主化を求めた沢山の青年が戦車により虐殺された追悼の日だ。数年前までは北京を始め各地で追悼の行事も行われたが、もう何年も前から行われなくなった。反国家法が施行されて、そうした追悼は反国家行為とみなされ、公安警察によって弾圧され、刑務所へ送られるのだ。今の中国には個人の自由はない。発言することも、行動することも、自由にできない。ガザが天井の無い監獄といわれてきたが、中国は国全体が規制されている。監獄とまでは言わないが・・。

 

翻って米国では今、11月の大統領選を前に、国が民主、共和に二分されていると言われている。それは又、国民の一人一人が自身の自由な意思に基づき、青か赤のどちらかの旗を選ぶ権利と自由が保障されているからに他ならない。今の日本では殆ど考えられないことだ。政治の場に於いて、国を二分するような選択は、将来においても起こりえないだろう。歴史的に言って、今の又将来の日本人にも、個人の確立は無理だろう。