ちゃおチャオブログ

日々の連続

12.8(日・晴れ)小便シリアのあさってアサド。

 

40年前ベルリンの壁崩壊の直後にアラブの春が巻き起こり、各国の独裁者国家が国民の運動により転覆し、各独裁者は追放されたり、ルーマニアのチャウセスクのように吊し上げにあって、撲殺されて独裁者もいた。

 

そんな独裁者の一人にシリアのアサドがいて、彼も同じ運命を辿るかと見ていたが、悪辣非道な強権を発動し、多数の国民を殺害し、こすくもロシアにすり寄って最後まで命運を保っていた。ロシアのバックアップで唯一生き延びた中近東の独裁者。

 

しかしその彼も程なく寿命で死んだが、それを機にこのシリアも民主化が進むかと思われたが、後を継いだアサド2世が見た目は穏やかな風貌だが、父親以上に悪辣で、独裁国家を維持し続けた。この間、犠牲に遭ったり、国外に逃れた国民は600万から700万、国民の4人に一人は家を失った。

 

そんな悪辣非道なアサドの息子のアサドJR.国内の反政府軍の攻撃で首都のダマスカスから追い払われ、今朝未明に空港を飛び立った。今の処どこに向かうのか明確になっていないが、ロシアプーチンの下に走るようだ。類は友を呼ぶ。悪人同士がお互いの傷を舐め合う図。しょんべんシリアのあさってのアサド。こんな男が独裁者だったとはおこがましい。早く北の金もアサドのように放逐されると良い。世の中が随分とスッキリ、綺麗になる。

 

思えば学生の頃一度ダマスカスへ行ったことがあった。それは21歳のクリスマスの頃で、イブをベイルートで迎えた。翌日急にダマスカスへ行って見たく思い、そこへ行くまでの交通手段も分からず、タクシーで往復した。ダマスカスの街そのものよりも、途中に広がるレバノン杉の森林を見たい思いもあった。

 

タクシーで凡そ2‐3時間。途中に国境もあったが、殆どフリーパスの状態で通過した。ダマスカスの街はベイルートと比べると大違いで、近代的な都市から中東の雑多な町に来た感じで、Ⅰ-2時間市内を走らせ、そのままベイルートへ戻った。レバノン側の傾斜地には杉の森林が広がっていて、3000年の昔からこの杉を切り倒し、木造船を作り、地中海貿易を活発に行っていたレバノン商人を想像した。タクシー代は往復でも合計100ドルもしなかったが、当時のドル円レートを考えても、良い思い出の1日旅行だった。