ちゃおチャオブログ

日々の連続

5.6.(日・曇雨)爺ヶ岳での女性遭難。栗山プール。

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3日前の5月3日、上海から帰国する飛行機の上から眺めていた日本の空は、西半分はかなりの晴天で、九州、四国地方の島なども良く見えていたが、紀伊半島を過ぎた辺からべったりとした厚雲に覆われ、地表は全く見えない状態だった。その厚雲は東日本全体に広がっていて、雲の下の荒天が予想された。
 
その飛行機の上から眺めた雲の下の状況は、予想通りの荒天で、3日からの連休後半、北アに登山した何人かのグループの音信不通、救助の要請が相次いだ。特に山の上ではすごい吹雪の冬山状態のようだった。
そうした救助要請者の中に爺が岳で遭難した大阪住之江区の女性単独登山者、宗和住摩子さん62歳の名前もあった。
 
このニュースを知ってすぐに鳥さんに連絡し、確認しあったが、やはりあの時の女性だった。3年前の2009年6月、甲武信岳に登った折、下山直後に大雨になって、雨宿りしていた女性を車に乗せ、途中、竜王町の温泉までも一緒に入って、駅まで送ってやった女性が今日遭難が確認された宗和さんだった。
 
車の中で、彼女は単身で100名山を目指していると言っていた。もう既に80幾つかの山は登頂したとも言っていた。スリムな如何にも山ガールらしい、はつらつ、さばさばした感じの女性だったが、あれから3年、その後幾つの山を走破したのか知らないが、100に届く一歩手前で山の犠牲になってしまった。
 
車の中の短い時間だったので、家族のことも、生い立ちも聞くことはできなかった。ただ、出身が大阪の住之江、天下茶屋に近いところ、神戸の須磨ではないが、同じようにスマコと言う、いろいろな各地の山の話しなどし、竜王駅で別れたが、あれが最後となった。山を愛し、山と共に生きた一人の女性の死を悼む。
 
3年前を思い出し、あの時のブログを再び開き、彼女の冥福を祈った。
 
 
 
昨日は白馬山でも北九州市の医師グループ6名が低温症で亡くなった。医師であるから、自分の置かれた状況は判断できたと思うが、皆末期になにを考えただろうか・・。人間の運命、自然の偶然に支配される弱い存在、などなど昨日の各地の遭難など知ると改めて感じるものがあった。
 
 
午後から小雨が上がったのを見計らい栗山プールへ。今日は泳ぐよりか、上海で教えてもらった、指圧マッサージ、按摩を主にジャグゾーの中でやって、筋肉のもみほぐしも大分楽になったような気がする。今月は又上海に行こう。
 
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