今日は大仏殿に入り、大仏様にお参りしよう。


お昼時、大仏殿横の庇の下で昼食を取る修学旅行生。


1260年前、この前庭で大仏開眼供養が行われたのか・・

奈良は日本人の心の古里とも言う。この大仏殿、毘盧遮那仏大仏が大いに寄与しているだろう。

この雄渾な建物はどうだ! 国宝大仏殿、嘗ての世界最大の木造建造物。いや、今でも尚世界一を保持しているかも知れない。この建物が建立されてから1260年。2度の焼き討ちに遭い、再び元の姿に再建されている。今度こそ3度目の正直、この先1000年輝き続けるだろう。
752年、平城に京を造営してから僅か40年、唐にも無い、天竺にも無いこれ程壮大な建造物を日本人の手で作り上げるとは!諸外国からやってきた外来人も日本人、当時の倭人の技術力、経済力、美的感覚を称賛し、驚嘆したに違いない。
今目の前にある大仏殿は江戸時代に再築されたもので、木材の関係で創建当時の11間から7間に狭められたものだが、それでも尚この雄大な建物はどうだ! 1間が8mで、間口56m、これでも充分広々としたものだが、創建当時は88mもあったのだ。大仏にしても大仏殿にしても、当時の技術で、良くぞこれ程大きな建物が建造されたものと、感心を通り越して、多くの日本人の心の中に日本人の誇りとして長く結ばれている。
前回は興福寺の茶屋で田島さんが待っていたので時間も無く、外の柵の間からこの大仏殿を眺めただけで終わったが、今日は時間も十分ある。さて早速中に入り、身近に大仏さんにお参りしよう。
752年、平城に京を造営してから僅か40年、唐にも無い、天竺にも無いこれ程壮大な建造物を日本人の手で作り上げるとは!諸外国からやってきた外来人も日本人、当時の倭人の技術力、経済力、美的感覚を称賛し、驚嘆したに違いない。
今目の前にある大仏殿は江戸時代に再築されたもので、木材の関係で創建当時の11間から7間に狭められたものだが、それでも尚この雄大な建物はどうだ! 1間が8mで、間口56m、これでも充分広々としたものだが、創建当時は88mもあったのだ。大仏にしても大仏殿にしても、当時の技術で、良くぞこれ程大きな建物が建造されたものと、感心を通り越して、多くの日本人の心の中に日本人の誇りとして長く結ばれている。
前回は興福寺の茶屋で田島さんが待っていたので時間も無く、外の柵の間からこの大仏殿を眺めただけで終わったが、今日は時間も十分ある。さて早速中に入り、身近に大仏さんにお参りしよう。
さて大仏殿の中に入ってみよう。

ああ、正面に国宝の八角燈籠が見える。ミューズの神を祀る燈籠だ。

ミューズの神。開眼供養の時はさぞや賑やかだったことだろう。 良く見ると、伎楽神が彫られている。

ああ、ここにも沢山の修学旅行生が・・。


さて、中の大仏さんにお参りしよう。

