ちゃおチャオブログ

日々の連続

ビルマ・マンダレー特急旅行(23)ドライバーとの昼食。

水中寺院の対岸には土産物店以外にも、こうした食堂が何軒かある。
 
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ドライバーのビルさんと一緒に昼飯を食べに行く。
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ミャンマー料理は良く知らないので、彼に注文をしてもらう。 http://static.app.widdit.com/images/features/searchwiddit.png
 
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何か珍しそうな食事が運ばれてくる。
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鶏の足を煮込んだゲーン、中々美味しかった。
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食後門前市の周辺を歩く。
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白人などの場合、使用人と雇用者、ご主人さまと召使、と言ったように社会の階層が日本よりはかなりはっきりしていて、こうした個人間のドライブに出た場合でも、運転手とお客が一緒に食事するといった光景は余り見かけない。当方四民平等の国に生まれ育っているから、そうした差別感も無く、むしろ好んで彼等と食事するようにしている。この国の昼飯代など一人分も二人分もさして変わらない。

そうした事情でドライバーのビル氏を誘って川沿いのレストランへ昼飯を食べに行く。ああ、そうそうもう一つ。こうした貧しい国の人を誘って昼飯を奢ってやると、何か恵みを与えたような気分になり、リッチな気持ちになる。そうした一段高いステージに上がる気持ちの良さが忘れられないのかも知れない。

タイの料理名については漸く覚えつつあるが、ミャンマーの料理に関しては皆目分からない。こうした時便利なのは、一緒に連れてきた現地の人に選んでもらう事だ。間違いなく安くて美味しい料理を選んでくれる。

出てきた料理は鳥の足を煮込んだようなもので、地元の野菜が沢山添えられている。チキンカレーのスープのようなものかも知れない。野菜をそのスープに付けてパリパリ食べるのが気持ち良い。ビタミンも豊富だ。自分一人ではとてもこんな料理は選べなかっただろうが、彼に一緒に来てもらって助かった。

ビル氏は顔付はイギリス紳士の末裔のような垢抜けた感じもするが、顔付に似合わず案外英語が話せず、片言の会話しか出来ない。確か英語は第二公用語になっている筈だが、学校で余り教えなかったのか・・。同じ植民地でもインド人の英語達者とは大違いだ。戦後50年、60年の民族主義がこうした学業レベルの低下を招いていると思われるが、元々勉強熱心な国民。旧植民地の血も流れており、学校でちゃんとした教育を施せば、直ぐにも英語達者になるだう。

川の流れを見ながら、遠くで聞こえる賑やかで甲高いミャンマー人の掛け合い言葉を聞きつつ、こうした見ず知らずの運転手と昼飯を食べ、生暖かい川風に当たり、満足な昼食と心地よい時間を費やした。さてお腹も満たした。この町を少し散歩し、ヤンゴンへの帰路についた。

 
 
 
街は豊かとは思えないが、平和そうだ。
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途中のパニンの町にある大きなパゴダ。昔の古都。
 
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お寺の手前の花屋さん。
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帰りは別の橋を通り、ヤンゴン川を渡る。
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この川も又日本にはないような大河だ。
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