昼食後、ツアーバスは再び嵩山を越えて洛陽に向かう。
人工なのか自然なのか、湖も見える。
峠を越すと洛陽方面の平地が見えてくる。
中国では伐採だけでなく、植林も盛んに行われている。
バスは深い谷の上を走るが、道路が整備されているので、危険は感じない。
平地が近づいてきた。柳条も見える。
登り方向は渋滞していて、数珠つなぎだ。
嵩山の麓、登封市郊外のレストランで昼食を終えた一行は、同じ道を引き返し、少林寺の大きな駐車場の前を素通りし、洛陽に向かって引き返す。次の訪問先龍門石窟は洛陽郊外にあるからだ。峠を越えたバスは、先刻、来る時に気になっていた「偃師」の街を通り過ぎる。
「偃師」、英語流では「やんし」と呼ぶが、日本語流には「えんし」と言うらしい。堤防などの「堰堤」(えんてい)の「堰」(えん)と共通する音読みなのだろう。「やんし」であれ「えんし」であれ、殆ど馴染みにない日本人にはどうでもよいことであるが、ここは三蔵法師、玄奘三蔵が生まれた場所で、洛陽から玄宗皇帝に見送られ、印度の祇園精舎に行った故事の生まれ故郷である。
洛陽の直ぐ隣、三蔵法師の生まれ故郷でも分かるように、ここは古い町で、商、夏、殷の頃から既に街が出来ていて、栄枯盛衰を繰り返してきた。バスの窓から眺める街並みは、そうした歴史的な古さを感ずるというよりか、街自体の古さ、古き貧しき時代の中国、公害などお構いなしにモクモク煙を吐き出し、生産に励む工場群、と言った、2世代、3世代前の前近代的な街並みであった。
中国では各地で石炭とか亜炭を産出しているが、バスで見る限りこの町もそうした亜炭の生産地の一つのようで、大きな工場の敷地の中には、そうした亜炭の山が野積みされていた。中国のやや近代化の遅れている地方都市を見る思いで、窓外の光景の写真撮影に熱中した。
「偃師」、英語流では「やんし」と呼ぶが、日本語流には「えんし」と言うらしい。堤防などの「堰堤」(えんてい)の「堰」(えん)と共通する音読みなのだろう。「やんし」であれ「えんし」であれ、殆ど馴染みにない日本人にはどうでもよいことであるが、ここは三蔵法師、玄奘三蔵が生まれた場所で、洛陽から玄宗皇帝に見送られ、印度の祇園精舎に行った故事の生まれ故郷である。
洛陽の直ぐ隣、三蔵法師の生まれ故郷でも分かるように、ここは古い町で、商、夏、殷の頃から既に街が出来ていて、栄枯盛衰を繰り返してきた。バスの窓から眺める街並みは、そうした歴史的な古さを感ずるというよりか、街自体の古さ、古き貧しき時代の中国、公害などお構いなしにモクモク煙を吐き出し、生産に励む工場群、と言った、2世代、3世代前の前近代的な街並みであった。
中国では各地で石炭とか亜炭を産出しているが、バスで見る限りこの町もそうした亜炭の生産地の一つのようで、大きな工場の敷地の中には、そうした亜炭の山が野積みされていた。中国のやや近代化の遅れている地方都市を見る思いで、窓外の光景の写真撮影に熱中した。
嵩山の麓の町、「偃師」(えんし)を今通過中。
工場の多い町だ。
どうも亜炭が採れるようで、工場内に野積みされている。
貧しげな感じの町並みだ。
街中には兎も角煙突が多い。
ここは瓦工場か。
ああ、野積みの亜炭が見える。