ちゃおチャオブログ

日々の連続

中国・歴史の旅(64)龍門石窟Part1.

龍門石窟は伊河の両岸に凡そ800mの長さに続いている。
イメージ 1
 
 
 
河に面した岩肌に仏像、祠などが開削されている。
イメージ 2
 
 
対岸に見えるお寺。
イメージ 3
 
 
龍門石窟案内図。対岸には白居易(白楽天墓所もある。
イメージ 4
 
 
岩を穿って作られた社。
イメージ 5
 
 
日本では見られない壮大なスケールだ。
イメージ 6
 
 
洞穴の中には仏像も安置されている。
イメージ 7
 
 
 
 
さてこれから韓国美人二人のエスコートで龍門石窟の観光が始まる。ここの石窟は洛陽郊外を流れ、黄河に注ぐ伊河という大きな川の両側、凡そ800m程の岩の斜面を穿ち、仏像や佛窟、更には寺や御堂が作られているものである。雲崗石窟は平地の中の小高い岩山を穿ったもので、規模も壮大だったが、ここは雲崗と比べるとやや厚みに欠けていて、芸術性も劣っている。

雲崗もここ龍門も北魏の孝文帝の頃のもので、北魏は最初京を現在の大同市、当時の平城に置き、460年頃から雲崗の石窟が開削され始め、494年、その北魏が平城からここ洛陽に遷都した後、同時に石工も洛陽に移り、ここ龍門での掘削が始まったものである。今から1500年も前の壮大なロマンだ。

最初は小さな仏像が岩肌にへばりつくように並んでいたが、雲崗のそれと比べるとかなり粗雑、幼稚な作り方だ。時代背景から言うと、ここの方が後発だから、より洗練された様式になると思われたが、逆だった。それは丁度青銅器が時代が古くなればなるほど芸術性が高く、作りも精巧である、という関係に似ているのかも知れない。
 
 
 
凄い数の洞穴だ。
イメージ 8
 
 
こんな感じの洞窟が数百、数千とある。
イメージ 9
 
 
石室の前の石の庭園。
イメージ 10
 
 
石窟の前で記念写真を撮っている中国人観光客。
 
イメージ 11
 
 
大勢の観光客が押し寄せている。
イメージ 12
 
 
当方も一枚記念写真を。
イメージ 13
 
 
さて順繰りに先に進んで行こう。
イメージ 14