ちゃおチャオブログ

日々の連続

中国・歴史の旅(66)龍門石窟Part3.韓国留学生と一緒に。

韓国人学生を待つ間、下から崖を見上げる。
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400年間の人間の営為を目前に見る。
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正にくまなく岩肌が掘られている。
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こうした岩盤にも花を咲かせる草花の生命力。
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可憐に見えても芯は強いのだ。
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30-40m程もある崖の最上部には多くの人が立ち止まっている。多分国宝に近い石仏が展示してあるのだろう。しかし何が展示されているのであれ、あんな高い所まで登らなくて良かった。この階段は一方通行になっていて、一度登り始めると元には戻れない。出口に向かってひたすら階段を上り、下らなければならないのだ。

これだけの大勢の人。下から見上げても韓国女性がどこにいるのかは全く分からない。兎も角、30分は掛らないだろう。出口付近で待つことにした。その間、改めてこの異様な断崖を眺める。何の岩石か、花崗岩と思えるが、その硬い表面を削るため、幾筋もの痕がついている。まるで波紋のように同一方向に流れている。北魏の孝文帝は都を大同からここ洛陽に移した際、何人の石工を引き連れてきたのか。それから400年、王朝は北魏から隋、唐と入れ替わっても、ここで働く人々は営々と石仏を彫り続けてきた。その数10万体。祠は数千。気の遠くなるような営みだ。

岩肌を眺め、前に流れる川を眺め、中国の雄大な歴史を思っていると、韓国学生が漸く下りてきた。つい先刻会ったばかりなのに、もう既に千古の知友と再会するような思いだ。全く言葉の通じない異国の地に於いて、日本語が話せる、通じるということはこれ程待ち遠しいことだったのか。改めて名前を聞くと辛さん、ソウル出身とのことだった。

韓国女性は優しい。以前、というか戦後しばらくの頃、多くの日本人が韓国人女性と結婚したが、彼女達のこうした優しさに魅力を感じたのか。日本女性、大和撫子とは違った優しさだった。今晩夜行列車で又北京に帰るとのことだが、残念だ。旅の思い出にツーショットの写真をお願いする。サングラスを掛けた姿など芸能人と見間違うような容麗さがあった。
 
 
 
 
そろそろ韓国女性も下りて来るころだ。
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一期一会、旅の記念に写真を撮らせてもらう。
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当方もまたツーショット。
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Korean Beauty.
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さてこの岩肌ともお別れだ。先に進もう。
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