ちゃおチャオブログ

日々の連続

補陀落渡海への旅(59)高麗大使館 跡を通り「鼓楼」へ。

月湖公園を出て「鼓楼」に向かって歩いて行くと、前方に見慣れない石造りの建物が見えてきた。
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どうも中国風でないと思ったら、高麗交流館となっている。
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ああ、そうか、これは明の時代の領事部の後を復元したものか・・
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中々立派な建物だ。
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近くにはこうした遺跡なども保存されている。
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月湖の南半分を歩くのをオミットし、街中に出る。この月湖公園の直ぐ近くに「鼓楼」というものがあり、「鼓堂」ではなく「鼓楼」と言うからにはその「楼」がどんなものか、見て見たくもあった。大体「時の鐘」、時刻を知らせる鐘なり太鼓はその町の中心地、一番賑やかな場所に置いてある例が多い。この街の「鼓楼」もそうした歴史を刻んでいるに違いない。

「月湖公園」を出て鼓楼に向かって少し歩いて行くと、左側に石造りの建物が見えてきて、どことなく中国の様式とは異なっている。レンガではなく石を積み上げているところが、江南地方では余り見かけない、北方の様式だ。近付いてみると、その建物は朝鮮国、高麗大使館を復元したものらしい。ああ、この街は公益港。朝鮮とも活発に交易をやっていて、朝鮮人も多く住んでいたに違いない。だとすれば、ここの朝鮮の大使館なり領事館が合ってもおかしくないか・・。

そう言えば、確か琉球王国も当時、中国に出先機関を持っていた。最も活発に交流していたこの寧波の港町に琉球王国出張所(今でいう領事部)が作られていた、と聞いている。この場所に高麗の領事部があるのなら、近くに琉球の領事部が無くてはならない。暫らく周辺を歩いて探してみたが、それらしい遺跡、建物跡は発見できなかった。

琉球領事部が高麗のそれより規模が小さく、歴史の闇の中に埋没してしまったのか、高麗とは規模は同程度でも、その後の日本政府の保存にかける力の入れ方、予算の使い方が今の韓国政府より格段に少なく、高麗代表部は立派に復元されているが、琉球代表部は跡形もない、と言った違いに現れているのかは、分からないが、当時琉球は朝鮮と並ぶ中国の貿易相手国。この東シナ海に於ける三国、三角貿易を歴史に留めて置くためにも、日本政府は率先し、当時の琉球代表部の遺跡の掘り起し、復元に努めなければならないだろう。そうすることが現在の沖縄県民への思いやり、彼等の誇りにも結び付くことだ。政府はいろんな所にいろんなばら撒き予算を使っているが、外務省はこうした琉球、日本のPRになるようなことにもっと力を入れてもらいたい。そう思いつつ、目的の「鼓楼」を目指した。もう直ぐ目の前にある。
 
 
 
 
ああ、明の時代の港は、こんな町の奥深くまで入り込んでいたのか・・
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中韓の仲の良さはどの程度か分からないが、こんな遺跡の保存などにも表れている。
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ここは今でも街の中心部だ。あんな大きなビルも見える。
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前方に見えるあの赤い建物が鼓楼か??
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ああ、方角的に鼓楼に違いない。随分大きな建物だ。
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