ちゃおチャオブログ

日々の連続

2、11( 木 、嵐 後曇り) 午前 暴風 のち曇。

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朝 嵐のような 大雨 傘をさして 外には歩けない 午前中 すぐ近くの 大浜記念館 へ行きそこから引き返す ピリオド 大浜記念館は 以前 早稲田大学の 総長を やられた方で 郷土の地元 石垣の 石垣の英雄です 沖縄 本土復帰にも 随分と尽力された方です以
暴風は 午後から 収まりつつあり 3時過ぎに 雨足はひく 近くの 海上保安庁 埠頭行き 巡視船を見てくる 日本の守りです 以上
夕方は 山羊料理 ヒージャー汁 お食べに トニー食堂へ行き10年ぶりに 店主の トニーさん 本名 通じ さん あい 旧交を温めた 今晩は 昨夜の 飲み過ぎが 祟り アルコール抜き です 以


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2.10.( 水・晴れ) 今日から石垣島四日間

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朝一番の飛行機で 石垣島へ 直行便4時間は かなり長いですね 10年ぶりの石垣島 暖かな初夏の陽気で ハイビスカス ブーゲンビリアも 満開です ホテルの近くには アパもあって 何年か前 ゴンタさんが 泊まったホテルですね のんびりした島で ゆっくりしています以上


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四国霊場最後の巡礼(68)高松・栗林公園にて。

栗林公園は広大で、とても全部は見切れない。

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借景の紫雲山も庭園にマッチしている。

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コロナ禍で入園者は少ないが、よく手入れされた公園だ。

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古い時代の瓦や建物土台なども展示してあった。

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池が幾つかあって、鴨池に向かう。

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関東地方に住んでいて、四国方面に馴染みのない人に取っては、高松の名園、この「栗林公園」については、余り知らないかも知れない。これは昨日もブログに書いておいたが、日本を代表する大名庭園の一つで、池有り、築山ありの日本の風景を縮図にしたような大名庭園は、その限りで言えば大名のままごと遊びとも言えないこともないが、実はもっと深く、一旦は途切れたかと思えた平安時代の池泉庭園、平安貴族が池に舟を浮かべ、和歌や酒宴を楽しんでいたその当時の優雅な遊びを平和が戻った江戸時代に、先祖返りのように各地有力な大名が遊び心で取り入れたのではないかと思う。

 

小堀遠州は江戸時代初期に活躍した著名な作庭家であり、且つ彼自身も大名であったが、彼の庭造りはどちらかと言うとコンパクトなもので、昨日のブログに挙げた各地の大大名の庭園と比べると、かなりこじんまりとしたものになっている。特にここ栗林公園では他には見られない実際の山、紫雲山を庭の中に取り入れていて、金閣寺銀閣寺の築山、醍醐寺上醍醐と比べても、その雄大さは比較外の大きさだ。

 

関東人にとって「栗林」は硫黄島で壮絶な最期、守備隊全員玉砕を遂げた栗林中将を思い出すが、ここは人の名前ではなく、「りつりん公園」と呼ばれる。「栗」を「りつ」と音読みするのは「慄然」、「戦慄」等の用法があるが、音読みは立心片が無くても同じである。栗林家の家名も栗の林も「くりばやし」と読むが、ここ高松の公園は昔から「りつりん」と音読みで呼ばれている。その理由は何故かは自分には分からない。いずれにしてもここは「くりばやし公園」とは呼ばれていない。

 

この庭園は江戸時代の初め、水戸徳川家初代藩主の長男が訳あってこの地高松に分家し、爾来明治ご一新まで高松松平家として存続したが、その初代高松藩主の頃作庭が始められた。この初代藩主は水戸光圀、即ち黄門さんの兄に当たり、この地にやってくる以前の水戸の庭園、偕楽園を偲び、このような広大な庭を造ったのではないかと思う。水戸偕楽園には千波湖という広大な湖があるが、ここ栗林にはその大きな湖の代わりに山を配したとか・・。

 

広い園内には幾つもの池があり、築山があり、梅園などもあるが、名前の由来となっている栗の林は見当たらない。又、お土産も和三盆はあっても栗羊羹はない。矢張りこの公園の名前と栗の実とは直接関係ないのかも知れない。尤も、栗羊羹については、昨日既に八栗寺ケーブル駅の売店で買ってあるので、改めてここで買う必要はないのだが・・。栗の代わりにこの庭園で目を引いたのは、真鴨であり、鮮やかな深緑青の姿は、東京近辺でよく見られるカルガモと比べたら、真に鴨の王様のような美しさだった。江戸時代、この池はお狩場で、藩主の鴨猟が行われていたとの案内板であるが、その当時から飛来していた真鴨の群れは400年経った今も同様に冬になったら飛来してくるのか・・。カラスが鳴くのはカラスの勝手、主が無くとも梅は咲く。この庭園の主は150年程も前にここから去って行ったが、鴨は変わらずやってくる。暫く真鴨に見とれ、今日のホテルに向かった。

 

綺麗な池だ。春夏秋冬楽しめそうだ。

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ああ、鴨が泳いでいる。

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真鴨だ! 本当に綺麗な色をひている。

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ツワブキの花も今が満開。

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出口付近に園内の案内板があった。広い庭園だ。

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2.9(火・晴れ)森がいじくられている! 明日から石垣。

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森の舌禍は今に始まったことではない。総理時代から米国潜水艦と水産高校練習船愛媛丸との衝突事故で、当時ゴルフ中だった森はその報を聞いてもそのままゴルフをし続け、遺族を冒涜するような言葉を吐いて、総理の座を棒に振った。

他にもいろいろあるが、冬季五輪の真央ちゃんが金メダル有望だったが、滑って逃した際の、「あの子は肝心な時に転んでしまう」は当時既に東京五輪会長だった人の発言としては全く相応しくなかった。あの時に反省して、会長を辞めるべきだった。この人はサメの脳細胞とも影口を言われていて、そうした判断もできないのかも知れない。

今回の舌禍では、朝から各TV報道、昼のワイドショー、夜の情報番組、各社こぞって連日の森叩き。元総理だけあって叩きがいがあるようで、新聞マスコミまで一緒になっていびっている。図太い神経の持ち主だから、いびられても、いじくられても、屁とも思わないだろう。アキレス腱は孫娘のようだが、その孫からも愛想をつかせているが、自ら会長を辞めようとしない。そんなに名誉が欲しいか! この老害じじい! 80過ぎたんだから、縁側の廊下で日向ぼっこをしているのが一番だ。それが社会にこれ以上迷惑を掛けない一番の方法というのが、自分では理解できない。あれやこれや、余人に代えがたい、などと訳の分からぬことをほざいて、人の悪口75日で、ほとぼりが冷めるを待っているのだろうが、全く法外な男だ。昔からそうだった。

 

明日から4日間、Inaさんと一緒に石垣旅行。向こうはもう初夏だろう。

 

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四国霊場最後の巡礼(67)高松「栗林公園」。

坂出の瀬戸内公園から浜街道を走ってやってきたのは高松市内にある栗林公園

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今回は北門から園に入る。

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広大な庭園で、正面の紫雲山を借景としている。

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ハス池も冬枯れだ。

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紅葉はまだ尚見頃を迎えている。

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讃岐浜街道は高松と中西部臨界工業地帯の坂出、宇多津、観音寺等々の海岸沿いの諸都市を結ぶバイパスで、道幅も広く、信号も少なく、渋滞はなく、今回の巡礼ドライブでは何回となく利用した。坂出郊外でお昼を食べて、この浜街道を走って高松に向かう。坂出と高松を区切る五色台半島の根の部分が少し盛り上がり、丘陵地のようになっていて、そこを左に入って行けば、一昨日参詣した白峯寺根香寺方向、右に進むと国分寺方向と、つい2‐3日前に走った道路だが、何か懐かしく感じる。

高松の主な観光場所は栗林公園屋島。大きな道路案内がこの二つの地名を大書している。あちこちの交差点に案内が出ているので、迷うことは無い。屋島は郊外にあって、市中からは離れているが、栗林公園は市のど真ん中。公園の周りには幾つか民間駐車場もあって、車を止める場所には困らない。北門の傍の駐車場に車を止めて、園内を散策する。以前来た時は正面の南門から入ったので、少し勝手は違うが、見覚えのある公園だ。過去2回来ているが、2回とも南門。2回目はちょっと入り口付近だけを見て、直ぐに出てしまった。今回も同じようになるかも知れない。

日本三名園は水戸の偕楽園、金沢の兼六園、岡山の後楽園を指すが、この栗林はそれに準ずる大名庭園か・・。同じような大名庭園で熊本の水前寺、広島の縮景園、福岡の大濠公園、東京の後楽園、等々、これ等も一緒に入れてやって、七大名園、八大名園として登録させてやっても良いと思うのだが・・。そうすれば、外国からやってくるInboundのお客さんにも良いPRにはなるに違いない。中国人は宣伝上手で、あちこちに、○○時代の名園、XX朝の名庭園、と各地で宣伝合戦しているが、日本の場合は権威主義で、名園なども限定的にしか認定していない。質より量。どちらが優れた宣伝効果になるかは自分には分からないが、ここ栗林公園がランキングされていないのは残念だ。観光庁も、出來得ればここと熊本の2カ所をプラスし、日本5名園と銘打って売り出したらどうだろうか・・。

 

南国四国らしい紅葉だ。

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市の中心部にあって、新宿御苑のように、園の外のビルが迫ってきている。

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大正時代に造られた栗林荘。

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紫雲山は高さ200m程の小山。この公園の奥の方に登山道もある。

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2.8(月・晴れ)NHK大河「麒麟」終了。東証暴発。

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NHK大河ドラマ、いつもはお正月早々から始まって、年末12月第2週に終了し、2回に分けて総集編を放送するのだが、今年はコロナ禍で途中かなりの中断があって、秋から再スタートしたが、昨日の日曜日、愛でたく終演となった。逆賊、明智、最後は山崎で敗れ、敗残するのだが、NHK大河ドラマではそこまでは放送せず、本能寺で終わりとなった。

テレビの力は大きい。今まで明智と言ったら反逆者、本流の織田、秀吉、徳川からしたら世を乱した逆賊と捉えられる見方が主流で、そうしたレッテルを張られたが、今回の大河ドラマでイメージを一新、善人役となった。

江戸時代、芭蕉は一時琵琶湖の畔、大津に住んでいたが、対岸の坂本まで足を延ばし、廃城となった坂本城の近くの菩提寺に寄って、和尚と話した。その頃から芭蕉に取っては明智は善人だった。

「冬さびて明智が妻の咄せむ」

自分も大津の先、比良山系の手前の小さな漁港まで訪ねて行ったが、あの時、信長を倒したのが、日本の歴史にとって良かったのか、悪かったのか、判断はできなかった。昨夜のNHKを見ていても、尚分からない。仮に生きていれば、朝鮮を征伐し、唐に攻め込み、アジア半円を領土にしていたかも知れない。そうした壮大な夢を描かせる稀代の英雄であったことは間違いない。

 

東証が暴発している。異常な株高だが、毎日この状態が続いていると、異常ではなく無くなり、これが普通の事と捉えられるようになるかも知れない。今日は609円も値上がりし、29,388円。3万円超えには後600円余り。どこかに大きな落とし穴が控えていると思うのだが・・。一寸先かも知れない・・。

 

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四国霊場最後の巡礼(66)坂出「番の州」工業地帯。

JALの2021年2月のカレンダーは岡山玉野にある王子が岳の風景写真だ。

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瀬戸内公園を散歩し、次に高松栗林公園へ向かうことにした。

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その道すがら、坂出臨海工業地帯を眺める。

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ここにはLNG基地もあり、巨大なコンビナートを形成している。

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三菱、ライオン、コスモ、川重等の巨大企業が操業中だ。

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この巡礼記は去年2020年11月のことであるが、今年21年2月のJALカレンダーは岡山県の王子が岳の風景写真だ。自分は王子が岳には行ったことはないが、倉敷郊外、玉野にある瀬戸内に面した風光明媚な海岸線だ。昨日もこのブログに牛窓からの瀬戸内の風光について触れたが、岡山に縁の深い大さんから、この辺りの風光は日本のエーゲ海と呼ばれているとの、コメントがあった。そうそう、自分もそのコメントをもらうまで、そのこと忘れていたが、確かにこの辺りの海の景色はエーゲ海に言えなくもない。海岸線に近い場所に、無人島とも思えるような小島が点在し、その島数は確かに日本のエーゲ海と言ってもよいだろう。備讃瀬戸の反対側の讃岐にギリシャ風の半円形劇場が造られたのも、この備前側のエーゲ海との別称が影響していたのかも知れない。

昨日の大さんのコメントにもあったが、この備讃瀬戸、直線距離にすれば10キロも無いだろう。アマゾン川とか銭塘江よりは幅は狭い。上海近郊を流れる長江(揚子江)の川幅は20キロもある。中国で確か5-6番目の大河、珠江は河口付近に旧黄埔軍官学校があったが、その付近には巨大な中洲があって、一つの大きな街になっていて、そこには沢山の学校が集約され、広州大学城と呼ばれている。それは正に広大な中洲が埋め立てられ、人口数万人を擁する大きな町となっている。そうした海外の大河と比較しても、この備讃瀬戸は全く一衣帯水の関係だ。

その埋め立てと言えば、この坂出の番の州工業地帯も、広大な埋め立て地だ。番の州の名前にある通り、渡り鳥や小鳥のやってくる洲のような浅瀬だったのだろう。向かいの備前、玉野、水島の臨界工業地帯の向こうを張るように大きな臨海地が造成された。ここにはLNG基地があり、三菱、ライオン等の科学会社、川崎重工等の鉄鋼造船、その他一大コンビナートを形成していて、香川県の誇りとする一大工業生産基地になっている。湾を取り巻くように各社工場の煙突が林立し、黒々とした煙を吐き出している。これ程の大工場があって、坂出の人口が丸亀より少ないのは、意外な感もしたが、多分今の工場は省力化が進み、昔のように大量の工員を必要としないのかも知れない。

何が釣れるのか、一人だけクーラーボックスを横に置いて釣りをしている人がいる。「釣果はどうですか?」と聞いてみたら、首をふるだけで、「いやー、ダメですねえ・・」との返事。湾が工場排水で汚染されているとも思えないが、大型船を接岸させる為に、湾内を深く浚渫し、近海物の魚も寄ってこないのかも知れない。人によっては、海が死んだ、と批難するかもしれないが、沖合の備讃瀬戸は今なお豊かな漁場であり、こうした臨界工業地帯を造成することにより、日本人の生活がどれ程豊かになったのか。自然保護は大事ではあるが、人の生活も向上させなければならない。高松に向かう途中の浜街道沿いに郊外型のレストランがあり、丁度昼時でもあり、そこで海鮮定食を食べることにした。

 

釣りをしている人がいて、釣果を聞いてみたら、サッパリ、の様子だった。

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番の洲を後にして、高松に向かった。

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途中浜街道沿いにレストランがあり、昼食に海鮮定食を食べる。瀬戸内の魚が美味しかった。

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この店もコロナ禍で、客は少なかった。

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