ちゃおチャオブログ

日々の連続

10.1(土・晴れ)マスク習慣病。嘆かわしい日本の現状を嘆く。



 

今日から10月。今年最後の3か月が始まる。泣いても笑っても残り3か月。順調に行けば今年も無事に乗り切り、新年を迎え、1歳馬齢を重ねる。

昨日も今日も晴天で、野川の彼岸花を見に行く。1週間遅れ、盛りは終わり、萎れた花も多い。開花の早い白彼岸などはもう花を落としていた。

 

花は別にしてもノーマスクの人は相変わらず少ない。政府は大分前に公園の散歩とか、一人歩きの時などはマスクの必要はない、と案内していたと思うが、殊更周知徹底している訳ではなく、知らない人が多いのか。自分等は、政府広報直後にはノーマスクで公園を散歩していたが、その頃のノーマスクはほんの数える程。数人行き違う程度だった。昨日、今日は少し増えているが、それでも全体の1-2割程度か。相変わらずマスク者が圧倒的だ。

公園を散歩して、誰とも話をしないのだから、そもそもマスクなど必要ないのだが、政府はずっと後々まで、解除通達を出さなかった。

 

バカな専門家とバカな政府と言うと、失礼になるが、外国の実情を見ているとそう思いたくもなる。マスクをすることによってどれ程のパーセンテージで防止できたか、又はその逆にしないことによって、どの程度のパーセンテージで感染が増加したのか、そうした検証は全く行わずに、或いは仮に行っていたとしても、全く公表されず、ただ単にマスクは感染の予防効果がある言い続け、国民に着用を強制し、買い物、電車はマストで、マスク無しでは飛行機にも乗れない。マスクの効果を科学的、医学的に全く検証しないで、単に盲目的に法律を作り、国民を強制する。外国のように、それに反対する国民もいないで、唯々諾々と命令に従う。盲目無知の国民よ。

 

先日、両陛下がロンドンのエリザベス女王陛下の国葬に参列したが、世界から集まった参列者の誰一人としてマスクなく、両陛下も当初はマスク着用も考えたが、一人日本からの弔問客がマスクでは様にならず、無着用とした。バッキンガム宮殿に参集した数万人の弔問者も誰一人マスクなどしていない。その結果、コロナが急拡大したとの統計を聞いていない。米国など、去年から既に大リーグの数万人も集まる球場で、ノーマスクだ。その結果、それ以前より、感染が急拡大したとの報道もない。

 

日本、台湾、香港以外の国ではもうどこもノーマスクだ。マスクの有無は感染の増減には関係していない、と分かっているからだ。台湾、香港の事情は自分には分からないが、日本の場合、日本人のマスク習慣病にある。政府がせっかく公園散歩には必要ないと通知していても、従来からの習慣で、外出時にはマスク着用、が習慣となっている。だから単なる散歩でも外せない。日本人の幼稚化だ。100歳まで生きた日野原先生が、病気の主たる原因としての生活習慣病を指摘していたが、このマスク着用にしてもその一つだ。

 

意味のないマスク着用は即解除すべきだ。いたずらに中国かベトナムのマスク業者を喜ばせているだけのことだ。専門家はマスク着脱で目に見える差異はないことを指摘し、政府に提言し、1日も早い解除を求めるべきだ。そうしないとこれから外国観光客が増加する中にあっても、日本は中国並みの後進国と思われかねない。一度決めたことを、その必要性が無くなった後でも、がむしゃらに守る。物事を時代や現状に合わせて変えようとしない、古風な墨守体質だ。誰か、マスク解放運動家は出てきてくれないか! 

嘆かわしい日本の体質を嘆く!

 

西国観音霊場巡り(3)川崎上空から横浜へ。

さて離陸だ。台風の影響で雲が多く、今日は富士山は見えない。

 

飛びあがった。眼下は鎌田、羽田の工業地帯だ。

 

これは多摩川河口か・・

 

川崎工業地帯だ。

 

 

以前は離陸直前の機内アナウンスで、着席ランプが消えるまで電子機器の使用はお控えください、との案内で、カメラの使用を控えていたが、考えてみたらカメラは電波を発する機器ではなく、単にズームとかピント合わせに単3電池を使用する機器にしか過ぎない。それに気付いて数年前から離発着の際もカメラを使用することにした。そこで最近は離発着時のドラマチックな景色も撮ることが出来るようになった。

以前も思ったのだが、羽田と富士山は案外近い位置にある。冬の空気が澄んだ日など、滑走路に向かう機の窓から大きく真っ白な富士山を見ることができた。葛飾北斎の富岳三十六景には、神奈川沖からの浪裏に凛として映える白銀の富士が描かれてるが、この羽田からもそれ程近い位置なのだ。だが、今日は台風の影響で、雲も多く黒鉄の富士は見ることはできない。

離陸した機は真っすぐ西に向かう。眼下は羽田沖だ。低い高度からだから良く見える。中小企業の多い大田区埋立地には沢山の工場群が重なっている。嘗ては産業立国の日本。アジアには工業国は日本しかなく、中国も韓国も台湾も皆これから発展する中進国だった。日本のこの地位は揺るぐものではなく、世界は日米が指導すべき、二大国の半分を占めていた。

どこでどう歯車が狂ったのか、米国は先に進み、世界の中で日本だけが置いてけぼりを食って、低迷の30年が始まった。眼下の工業地帯も新陳代謝が遅れ、海外からの追い上げもあって四苦八苦している。世界に冠たる京浜工業地帯も今は色あせ、世界の先端企業と呼べるようなものはここにはなく、殆どの煙突からも煙は上がっていない。あれ程元気づけられた高炉から吹き上げる黒煙も今は休止か煙も見えない。過去40年見続けてきた眼下の光景。この先、後何回見られるか・・。

 

  • 川崎臨海工業地帯。

     

  • 大黒ブリッジも正面に見える。

     

    生麦の辺りか・・、もう横浜だ

  • ああ、横浜港みらい地区だ。ランドマークも見える。

     

9.30(金・晴れ)ちむドンドン終了。円楽さん死去。身勝手で人でなし殺人者。

つつじ

 

 

NHK朝の連ドラ、チムドンドン、今日で終了。舞台は最後に沖縄ヤンバルの実家に戻り、皆相応に歳を取り、子供も孫も生まれて、仲間由紀恵も腰の曲がった婆あになって、大円団。3月から始まって、夏の間の半年は過ぎ去った。来週は又新しい大阪の飛行機物語が始まる。

 

三遊亭円楽死亡。72才。ガンになり梗塞になり、幾多の入退院、病気を乗り越え、現役復帰に頑張っていたが、遂に逝った。頭の回転の速い落語家で、笑点の常連、お茶の間を賑わしてくれていた。一番の人気者だったが、歌丸師匠引退の司会の座を昇太に奪われ、それから運命がおかしくなったか・・。誰もが円楽が着くと思っていたが、その直後に愛人問題が表ざたになった。好事魔多し、72才の人生はやや早いが妻と同年だ。同じ小学、中学の同窓で、もしも妻が生きていれば今年は五黄の虎、72才になっていた。あの世で又出会うかも知れない。

 

世の中には全く訳の分からない、自分が今一体何をしているのかすら理解できない人間もいる。北海道北広島市の困窮者アパートで今朝、67才の男が自分の部屋に油を撒いて火をつけたが、自分は部屋から逃げ出し助かったが、火に巻き込まれた居住者の二人が焼死した。朝早い時間アパートに火を付ければ住人がどうなるか位、考えなくても分かることだが、本人にはそれが理解できない。このアパートはNPOが運営する救済アパートで、死んだ二人もさることながら、焼け出された10数人の入居の明日にも困る。

こんな自分勝手でいい加減な男が増えている。自殺したければ、こんなアパートの中ではなく、人知れず北海道の原野なり、オホーツクの荒海に身を投げればよいことだ。死ぬ勇気もない男が火をつけ、二人を殺し、自分は助かった。こんな下らぬ男を国は刑務所で生涯面倒を見なければならない。二人が死んだんだから、即死刑が良い。

 

 

 

9.29(木・晴れ)コロナ? インフル? 39.5度。

 

 

いつもは低い体温。体温計は35度前後で、34度代を示すこともある。もう一度計り直すが、殆ど変わらない。元々は低温体質だっが最近は何故か36度代を示すことも時々あった。漸く普通の人並みの体温まで上がってきたかと。

それが二日前は37度まで上がり、一昨夜は39.5度まで上がった。数字を見ていて、早く止まってくれと念じていたら、39.5度で停止した。まあ、良かった40度を超えなくて。

 

コロナが始まった頃の3年前、体温を測ることの重要性が指摘され、古い体温計は使用不能で、新たに体温計を買った。体温が40度を超えたら即コロナ。一番分かりやすい判定法だ。この3年間、幸いに体温計が異常値を示すことも無く、風邪やインフルにも罹らず無事に過ごしてきたが、一昨日は少し違った。体温のせいなのかどうなのか、頭も痛い。頭の痛さは以前からあったが、一昨日は更にそれがひどくなった。・・いよいよ罹ったか?? 週末埼玉へ行き、往復電車に乗ったり、食堂にも行った。ひょっとして移された? オミクロンは誰でも、どこでも簡単に移ると言われる。場合によってはオミクロンかも知れないが、特徴的な味覚症状、嗅覚症状は異常ない。

 

それで昨日は少し厚手のパジャマを着て寝たら、熱くて汗ばんだ。朝計ってみたら1度減っていて38.5度まで下がっている。頭痛も少しは軽くなったようだ。2‐3日前から鼻水も出て、空せきも出る。オミクロンとインフルは似たような症状で、コロナが弱毒化してインフルと同じような症状になったのだろう。自分に取ってはコロナもインフルも同じようなものだ。兎も角峠は越したようだ。一時はオミクロンが急速に悪化し、朝起きたら死んでいた、なんてことも心配したが、どの道一介の老人。家族は悲しむだろうが、社会的には殆ど影響もなく、むしろ年金支給がストップするので、国は喜ぶかも知れない。朝目を覚まし、体温が1度も下がったことを喜び、又、暫く生き続けよう。

 

 

9.28(水・晴れ)国葬から1夜明けて。東証一時25,000円割れ。

 

 

昨日まで国を二分する大騒ぎ状態だった安倍国葬も昨日厳戒態勢の中で無事終了し、一夜明けた今日は、嘘のように静まり返った。全く台風一過の趣だ。国葬と台風を一緒にしたら、安倍さんに失礼かも知れないが、昨日までの報道、テレビ新聞等のマスコミの過熱ぶりからすると、巨大台風がばっと走り抜けて、いつもの平常が戻って来た感じだ。岸田さんもこれ以上攻撃されることもなく、取り敢えずはほっとしているに違いないが、来週3日からは特別国会が始まり、再び針の筵状態になるだろう。

紋切り型の答弁で中身が薄く、何で国民はこんなグズ男を総理に選んだかと臍を噛んでいるが、再度菅さんにカムバックしてもらうには、国民の拒否感も強く、ならば、1年前の総裁選、河野なり小泉を引っ張り出して、体制をガラっと変えない限り、自民党も日本国と同じように、真綿で首を絞められるように、ジワジワ衰退していくだろう。

 

岸田内閣に如何ほどの経済政策通がいるのかいないのか、1年前の華々しく打ち上げた国民所得倍増は、今はもう全く色あせたものになり、最近は本人すらも口にしない。チマチマと5年限りのニーサをその5年限度を撤廃するとか、経済活性策には程遠い。最大の間違いは、連休中に円安をストップする為に3兆円ものドルを売って、円を買い支えたが、それも僅か1日、今日はもう又元の144円後半に張り付いている。政策がチグハグだからだ。政府は一方で円を買っても、日銀は相変わらずマイナス金利。こんな魅力ない円を買う外人投資家などはいない。

 

30年ほど前、英国ポンドが政府とイングランド銀行のチグハグ対応で、世界中の投資家から売り浴びせられ、ポンドは瞬く間に暴落し、英国政府は莫大な損失を被った。即ち、ハゲタカファンドがその損失分そっくりを儲けたという勘定。今の日本は30年前の英国の状況と類似してきた。3兆円や5兆円の円買いではハゲタカは怯む筈はない。日銀がパンクしないことを願う次第だが、その黒田も来年3月までだ。付と借金は全て後任への置き土産。自分はバイバイと優雅な年金生活だ。いやいや欲張りだから、又どこかのゴールデンポストを狙っているかも知れない。8年前の黒田バズーカ、2%のインフレターゲットと経済成長、この8年間、全く実現できなかった。それ以上に、800兆円だった債務を今はその1.5倍の1200兆円まで膨らませている。

 

バズーカの狙う方向が間違っていて、空砲しか撃っていなかった結果が今日の敗残だ。何が間違っていたかを考えようとしない、頭の重い老人だ。この8年、いやそれ以上に過去の30年、日本は総理も総裁も人を得なかった。衰退の道を歩むだけで、今は韓国、台湾の下請け国家となっている。矢張り、小泉か河野だ。英国トラスが40代女性のように、日本の主要大臣も年齢性を設け、40代以下にすべきだ。少なくとも70以上の国会議員は全て引退してもらう。そうでもしない限り、日本は浮上できない。

 

こんなみじめ日本、日本売りも激しく、一時はとうとう25,000円を割ってしまった。700円超の下げ。岸田には歯止めする能力も無いし、元からそんな意欲も持っていない。次の総選挙の3年間、ノンベンだらりと総理の椅子に収まっているだけだ。日本は最悪の総理を選んでしまった。

 

 

 

9.27(火・晴れ)諸外国から軽んじられた安倍国葬儀。



 

今日午後1時40分から武道館で安倍元総理の国葬儀が行われた。岸田総理が再三言うように、これは国葬ではなく国葬儀だ。国葬を真似た葬儀、国葬儀に過ぎない。であるから国会の審議など経ずに、内閣閣議で即座に決定できた。しかしそれは国民から大きな反発を呼び、この国葬乃至国葬儀に反対する国民の数は賛成を上回っている。聞く耳を持たない岸田は、多数の反対を無視して、国葬儀から内閣葬、国民葬への変更をせずに強行した。結果、内閣支持率は急落し、現在危険水域の30%を下回っている。この先、支持率がどう推移するかは、本人も誰も分からない。

 

国葬儀と言う巧妙な言い方で国民を欺罔するようなやり口は前総理そっくりだが、それは兎も角、国民の声を無視して強行した国葬儀の、外国からの評価は安倍乃至日本の国葬が軽んじられている結果になった。先ず米国。岸田が国葬を内外に発表した直後、すぐさま反応したのはバイデンで、「自分は行かない。副大統領のハリスを代わりに行かせる、と」。国葬発表の1週間後、今度はエリザベス女王崩御され、国葬が発表されたが、即座に妻のジル夫人と弔問に駆け付けることを発表した。ワシントンとロンドン、東京との距離感もあるが、その極端な対応の違いに度肝を抜かれたのは岸田だけではなかっただろう。米国の一番の同盟国、クワッドを強力に推進してきた元総理の国葬に対し、バイデンのこの扱いは何だったのか?

 

元総理に取って一番の仲良しだった筈のトランプも全く無視。妻のイバンカや息子すらも列席しない。ありきたりの弔電1本で済ませたのだ。在任中都合30回も個別首脳会談をしたプーチンは弔電すらも送ってこない。ウクライナ侵略と言う両国間の棘はあるにしても、個人の友情は別物で、安倍はプーチンとの間にそうした友情、信頼を築いてきたのではなかったのか。表面上の友好など偽物で、二人の間には何もなかった。だから、国民の多くがあれ程親しい関係にあったのだから、プーチンに電話し、ロシアの残虐行為を少しは牽制してくれるもとと期待したが、電話1本もしなかった。岸田は国葬にした大きな理由の一つとして、諸外国との交友、外交、諸外国からの沢山の弔電を上げていたが、彼が最も親しく接した二人から、このような冷たい扱いを受けて、安倍外交とは一体何だったのか?

 

岸田は今回の国葬に際し、弔問外交を大きな成果として挙げていて、昨日も早速ハリスと迎賓館で面談し、この3日間で40人程の外国首脳と面談すると、胸を張っていたが、その中身はどうか。令和両陛下が遠路遥々エリザベス女王国葬に参列し、その日の内に帰国の途についたように、国葬、葬儀に参列する者は、別途の目的を作らず、ただひたすら弔意を示すことが求められているのだが、ハリスは何とこの国葬の後韓国へ飛んで、韓国大統領と面談してくるという。元総理にとって、こんな失礼な弔問はないだろう。そもそも何故隣の大統領がやってこないのか! アジア近隣諸国からの首脳の参列はベトナムシンガポールの首相だけで、後はクワッドのインドのモデイと豪州アルバニージーを数えるのみである。欧州、アフリカ、中南米からは誰も来ていない。8月にチュニジアで行われたアフリカ開発援助では300億ドル、約4兆円もの多額援助を表明したが、そのアフリカからは首脳は誰も来ていない。日本がこれ程バカにされたことはあったのか。アフリカ開発援助など取り止めにした方がよい。 尤もアフリカから首脳が来るとしても、又別途のおねだりが目的の一つにあるだろうから、むしろ来てもらわなかった方が良かった。

 

カマラハリスは毎日自身のツイッターにその日の出来事をツイートしているが、今朝のツイートには昨日日本に来たことも、岸田と面会したことも全く触れていない。どういうことだ? 大統領特使として来たのではなかったのか? 米国に取ってクワッドなどどうでも良い。日米同盟、米韓同盟、オーカスを重要視し、インドの入るクワッドなどは半身で構えている。日本がオーカスに参加できればそれが一番で、その時はクワッドなど胡散霧消するが、インドの入る軍事同盟など信頼性は薄い。嘗ての中国がやったように、インドはロシアと米国を天秤に掛け、漁夫の利を狙っているのだ。

 

さて2時前にスタートした国葬儀もエリザベスと比べたら本当に日本的で地味な儀式も最後に岸田葬儀委員長の長ったらし感動的でな弔辞が終わり、衆参議長最高裁長官の簡潔な弔辞、最後に友人代表の菅氏の弔辞で締めくくり、献花に移った。この献花も又外国人に取っては退屈で更に驚いたのは皇族の8人が、男性は秋篠宮一人で、後は全て女性陣。日本の衰退を印象付けたかも知れない。弔辞は短ければ短い程よい。チャールズ皇太子、現国王が涙ぐんで一言二言、「ママ、ママ、愛している。ありがとう」との感動的なシーンは残念ながら日本の葬儀にはなかった。献花は4時過ぎまで続き、参列した4000人からの弔問客が長い時間かけて行う。何故かIOCバッハ会長も来ていた。フィクサー高橋が今日3回目の逮捕をされたことは皮肉な巡り合わせだが、よもや、この期に及んで森との面談はないだろう。4時過ぎ、NHKは漸く画面をスタジオに切り替えた。半世紀に1度の国葬儀、果たして国民はどう見ていたか・・。

 

西国観音霊場巡り(2)バスにて搭乗。

空港ビル1階の搭乗ゲート前の長いすで空弁ヨネスケを食べる。

 

移動バスで搭乗機に向かう。前方に管制タワーが見える。

 

空港内をバスで横断。

 

今日の搭乗機。JAL225便。

 

 

5か月ぶりの羽田空港。前回4月に来た時はまだコロナ解除前で、今日ほどの賑わいはなかったが、それでもコロナ禍の2年、徐々にではあるが、空の移動も増えつつあった。今日は移動制限が解除され、国内なら自由にどこへでも旅行ができる状況になった。そのとばっちりを受けたのかどうかは知らないが、今日の搭乗はバスを利用する。羽田は過去何回も利用しているが、バスの利用は余りない。関空行は全体から見れば乗客数のそれ程多くないマイナーな路線かも知れない。

 

バス利用の搭乗口は空港ビルの端の方の1階にあり、1階まで降りて搭乗ゲートまで行くと、それでも結構な人が搭乗開始を待っている。売店で空弁ヨネスケを買ってきたのだが、2階にあるような窓の大きく開いた滑走路の見える見晴らしの良い席はない。やむを得ず、待合人の少ない奥のほうにある長椅子を売らび、搭乗前にお昼を食べておくことにした。売店にはいろいろ凝った江戸前の箱詰め弁当なども置いてあったが、中でヨネスケは安い部類にあり、自然と手が行った。

 

お昼を食べ終え、暫く待つとバスの搭乗時間。皆ぞろぞろバスに乗り込む。空港内を横断し、搭乗機に向かう。以前、いつかの冬の季節、このバスの中から真っ白の富士山が滑走路の向こうに見えた時は親善な感動を覚えた。今日は富士山の代わりに管制塔だ。筒のような丸いタワーが前方にぴょんと立っている。この中で空港管制官は一瞬の油断も無く空路の安全を確保しているのだ。

 

バスは殆ど5-6分走って搭乗機前に到着。タラップを登る。足が悪いから、これしきの事でも大変に思う。コロナの前だったが、旅行好きの車椅子旅行者がタラップ使用に問題提起し、大きな論争を起こした。自分もそう思う。ブリッジで搭乗するのではなく、タラップを登るのであれば、足の悪い人用に簡易リフトとかエスカレータ位用意して下さいよと。ゆっくり階段を登り、漸く窓際の座席に着席した。

 

下から見上げるとかなり大きな機体だ。

 

空港整備員も大体作業は終わったようだ。

 

さて、タラップを登って、これから搭乗だ。

 

座席54Kに着席後、機は滑走路に向かう。