ここ三江客運中心は舟山市の郊外にあり、寧波から来るバスと各島に渡る中継地点になっている。
地元の銀行の大きな広告板が出ている。簡体字で「慶祝浙江民泰商業銀行」と出ている。どうもこの近くで支点がオープンしたようだ。
さてこれから又フェリーに乗り込む。
今度のフェリーはかなり大きい。
又々定海の海に乗り出す。
遠くに街らしき影が蜃気楼のように浮かぶ。
「岱山」という場所がどこにあるのか分からず、舟山島を結ぶ高速バスに乗ってやってきたが、どうもここの「三江客運中心」というターミナルが終点らしい。別にアナウンスがある訳でもなく、乗客が全員荷物を持ってぞろぞろ下車したので、ここが終点と分かった次第だ。そして人々はフェリー乗り場の方に向かうので、ここからフェリーに乗って、行った先が「岱山」のようだ。この辺りの「島」は「山」という名前で呼ばれているらしい。「補陀山」、「舟山」然りである。
「舟山」という地名は珍しい。当方伊豆の出身であるが、西伊豆の戸田と土肥の間に挟まれた人口数百人の小さな集落があるが、そこ地名が「舟山」という。「船山」ではなく「舟山」。この中国の舟山群島の舟山と全く同じ漢字を使う。その舟山集落が何時ごろからそう呼ばれるようになり、又、そう呼ばれるようになった契機は何か、など全く知らないが、何かこの中国の舟山との関連性をそれとなく感ずる。
大型客船は再び土色をした海、定海に乗り出し、岱山という名前の島に向かう。この島がどこにあって、どの程度の大きさかは分からないが、中国政府もこの島までの高速道は建設しなかったのだ。相当遠い場所にあるに違いない。しかしこの海の色は何とかならないもおか。黄土が揚子江を初めとする大河によって海に押し出され、広範囲に茶色の海にしている。遣唐使の時代から続いていることだ。
伊豆の舟山という地名が、この群島の漁船民か交易船が難破し、漂流して行きついた先に住み着き、その記憶として地名に残されたのか・・、歴史は闇の中にあるが、この土色をした海を眺めていると何かそのような遠い夢のような想像もできた。中国の多島海、この海を眺めていると、様々な形をした島が現れては消えて行く。1000年も続いている光景。難破船に乗った慈覚大師もこうした光景を眺めていたに違いない。
「舟山」という地名は珍しい。当方伊豆の出身であるが、西伊豆の戸田と土肥の間に挟まれた人口数百人の小さな集落があるが、そこ地名が「舟山」という。「船山」ではなく「舟山」。この中国の舟山群島の舟山と全く同じ漢字を使う。その舟山集落が何時ごろからそう呼ばれるようになり、又、そう呼ばれるようになった契機は何か、など全く知らないが、何かこの中国の舟山との関連性をそれとなく感ずる。
大型客船は再び土色をした海、定海に乗り出し、岱山という名前の島に向かう。この島がどこにあって、どの程度の大きさかは分からないが、中国政府もこの島までの高速道は建設しなかったのだ。相当遠い場所にあるに違いない。しかしこの海の色は何とかならないもおか。黄土が揚子江を初めとする大河によって海に押し出され、広範囲に茶色の海にしている。遣唐使の時代から続いていることだ。
伊豆の舟山という地名が、この群島の漁船民か交易船が難破し、漂流して行きついた先に住み着き、その記憶として地名に残されたのか・・、歴史は闇の中にあるが、この土色をした海を眺めていると何かそのような遠い夢のような想像もできた。中国の多島海、この海を眺めていると、様々な形をした島が現れては消えて行く。1000年も続いている光景。難破船に乗った慈覚大師もこうした光景を眺めていたに違いない。
どこかの街の港湾だ。
こんな地方の船に乗っている外人は自分しかいない。
大小様々な島影を縫って行く。
数えても数えきれないほどの島の数だ。
潮目が変わっている所に来た。大分沖合まで出てきたのか・・。 一部に青い海が見える。
遠くに貨物船も見える。