ちゃおチャオブログ

日々の連続

中国・歴史の旅(96)開封府へ。

堰堤から見える街の風景はまだ高層ビルの数は少ない。
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湖には遊園施設も備えられている。
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開封府。テーマパークなのだろうか。五重塔も見える。
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太鼓橋の所までやってきた。
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あれ、こんな所に裸の人がいる?
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ああ、この湖で泳いでいるのか、日向ぼっこしているのか・・、大胆だなあ。
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開封市内のど真ん中にある大きな湖「包公湖」の二つに分けるように堰堤が伸びていて、1キロ近いその堰堤を歩き、対岸に向かう。以前、西湖で白堤、蘇堤の二つの堤を歩いたことがあったが、この堤は、平坦で何もない、途中に太鼓橋のような鏡橋のような盛り上がった石橋があるだけで、こうした雰囲気は白堤そっくりだ。

江戸時代の初め、丁度その頃、中国大陸では明王朝が清に取って代わられ、多くの明の遺臣が日本に亡命してきて、水戸の大公などそうした遺臣を招き厚遇したが、その一人に朱瞬水がいて、江戸の水戸藩邸に西湖に似せた池を作った。で、そこにも又白堤に似せた堰堤も作られたが、規模の小ささは、西湖の白堤を見た者の目にはかなりがっかりさせられたものだが、ここ包公湖の白堤は見事なものだ。尤も、ここでは白居易が作ったものではないから、白堤とは言わないだろうが、その長さは充分なものである。

そうして堰堤をそぞろ歩いていると、湖の周囲の街並みが良く眺められる。この街はまだ杭州程の高層化は進んでいないが、数年もすれば、たちまちの内に、高層ビルの林立が見られるようになるかも知れない。堤の途中の太鼓橋の所には四阿なども作られていて、街の人なのか観光客なのか、休憩している。その傍らでは裸の人が堤の端に坐って、湖に足を浸しているが、多分これから泳ぐつもりなのか、泳いだ後の一休みをしているのだろう。周囲の目を気にしない典型的な中国人だ。

前方に古風な造りの赤い建物がある。五重塔なども見え、その正面には「開封府」と大書してある。その当時のものなのか、後から再建されたテーマパークなのか、興味深い。どの道夕方までには十分な時間がある。少し立ち寄って、中の見物でもしてみよう。
 
 
 
 
四阿の近くでは土産物店なども出ている。
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路上本屋もあった。中国人は勉強好きなんだ。
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漸く堰堤を渡り終えた。
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宣化? あれどこかで聞いた名前だ。日本の天皇にこんな名前の人がいたような・・
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さて開封府に入ってみよう。
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いやー、宋の時代の衣装を着た中国美人のお出迎え!
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