ちゃおチャオブログ

日々の連続

補陀落渡海への旅(100)魯迅故里へ。

自転車タクシーが次に向かったのは魯迅の旧宅。
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中近代の街並みを通り抜けて行く。
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ここら辺にもこうした掘割がある。
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咸亨酒店からぐるっと大回りしてやってきたのが、魯迅旧宅(故里)。
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日本人旅行者にとっては欠かせない地の一つだ。
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咸亨酒店の後、自転車タクシーが次に案内してくれたのは魯迅の旧居。中国語では「故居」と言ったりするが、ここは特に魯迅が生まれ育った場所だから「故里」、「祖居」と呼ばれたりしている。先刻の酒店も、ここ魯迅旧居も新古街の中心地近くにあり、殆ど背中合わせの場所にある。と言うか、魯迅旧居の出口を出た直ぐの場所に咸亨酒店があるのだが、ここは出口専用になっていて、入口は反対側にあるので、自転車はこの魯迅の大きな敷地をぐるっと回るようにして走らせ、入口で当方を下し、今日のツアーは終了となる。

日本ではそんなことはないが、中国とかタイ、その他、アジア諸国へ行くと、こうした施設の入場料は自国民と外人観光客とで料金の差を設け、酷いところでは10倍になることもある。ここ中国ではどれ位の差があるのかは知らないが、ドライバーは通常の観光客用のチケットブースを通り過ぎて、更に奥の方へ行って、何等かの方法で安い入場券を入手し、当方にそれを渡して、ハイさようなら、バイバイとなった次第である。一緒に付いてきてくれるかと思っていたが、彼女にしてみれば時間の無駄で、新たなお客を見付ける方が先決だったのだろう。

さて魯迅。近代中国作家の中では最も有名で、特に日本人には郭沫若と並び親しまれている。それは魯迅がまだ若い頃、まだ清末の頃だったが、日本に留学し、仙台に暫らく棲み、その後も日本と中国を行ったり来たりして、日本人の知人も多く、いわば一種の日中文化の懸け橋のような存在だったからでもある。

20数年前、当方が初めて北京を訪問した際、北京市内外のあちこちの施設を廻る中で、タクシーで魯迅旧居へ行ってもらったが、その時は高い塀に囲まれていて、中に入ることもできず、残念ながら塀だけを見て引き返した記憶があるが、今回は、魯迅がここで生まれ、幼少期を過ごした場所だから、感激もひとしおである。
 
 
 
魯迅、中国語では「ルーシェン」と言う。
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さあ、グズグズ言わずに中に入ろう。
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ああ、魯迅が生まれ育った旧宅だ。
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日本語、韓国語でも観光案内が出ている。
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魯迅、本名、周樹人、はここで生まれ、育ったのだ。
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