ちゃおチャオブログ

日々の連続

中国・歴史の旅(151)昼食の後魯迅記念館へ。

店先に小エビを並べて置いてある店があったので入ることにした。
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うーん、美味しそうな小エビだ。
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ムム、海鮮料理の店かと思ったら、普通の食堂だった。
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取り合わせは良くないが、先ずは一杯。
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うーん、中々美味しそうな上海料理だ。
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どことなく戦前の日本の香を感じさせる旧日本租界地・現虹口区の裏通りを歩き、漸く賑やかな地下鉄駅前の大通りに出てきた頃、お腹も空いてきた。街並みが賑やかなになってきた。手頃なレストランを探すことにしよう。この辺の食堂なら、人民広場近辺の観光客を相手にする食堂と違って、常連の地元住民を客層としているから、美味しい上海料理が食べられるかも知れない。

ふと見ると店先に小エビの揚げたのをいっぱいバットに乗せて置いてある食堂がある。今問題になっている芝エビかバナエイ蝦(エビ)かは知らないが、美味しそうだ。しかも海鮮料理を主体としているようだ。さてこの店に入ることにしたが、店先に置かれた小エビは客寄せのようなもので、料理は海鮮ではなく、普通の上海料理。しかしまあ写真付だから、料理を選び易い。写真を見て出された料理は、まあまあ納得の行くもので、矢張り「食は上海にあり」、か。

腹も満たされた。魯迅公園はここからはすぐだ。公園の入口には日本の資金で建てられた魯迅記念館がある。魯迅と日本との係わり。明治の時代いち早く開国し、西洋の技術を取り入れ、文明開化の波に乗って、国力を増大して行った日本。中国文化人に取って日本は羨望の的だった。魯迅も又数年を仙台に過ごし、先進の医学を学んだが、帰国後作家となり、中国人の啓蒙に努めたのだった。しかしその後日本は大きく変貌し、列強の片割れを担ぐ形で中国を侵略し、あまつ、満州国まで分離独立させ、日本の属国とした。日本に思いを寄せていた後年の魯迅にとって、こうした日本軍の振る舞いはどう映っただろうか。魯迅記念館にはその回答の一端があるかも知れない。
 
 
 
 
このチャーハンもさっぱり味で行ける!日本のチャーハンと変わらない。料理も又旧租界地の伝統を引き継いでいるのかなあ・・
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うーん、実に美味しい五菜スープでした。
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さて再び魯迅公園にやってきた。
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この館は魯迅と日本人をテーマにしているようだ。
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日本的な瓦屋根の建物。「魯迅与日本人」か・・。
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