ちゃおチャオブログ

日々の連続

中国・歴史の旅(152)魯迅記念館。

これから魯迅公園内にある記念館に入る。
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2階展示室に通じる階段。
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2階のコリドールから1階の土産物・記念品売り場を見下ろす。
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2階の展示物。
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内山書店店主との交流は深いものがあった。 
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日本と関わりの深い中国人作家で、魯迅は最も著名で、中国人からも日本人からも慕われ、親しまれている。当時、辛亥革命の真っただ中で、魯迅の実家、紹興の大地主も没落の憂き目に遭っていたが、そうした中、若き魯迅は仙台医学校(現東北大学医学部)へ留学することとなった。魯迅の青年期のスタートは仙台にあったと言っても過言ではない。

当方は偶々この旅行の1か月後紹興を訪問し、歴史保存されている魯迅の広大な実家を見ることができたが、その豪壮さと彼が最後の晩年を過ごした、つい先刻見てきた質素な住宅との大きさ落差に驚いたが、それもその後に続く民国革命、文化人、特権階級の排斥などを想うと、終の棲家は彼にとって最大の贅沢だったのかも知れない。しかし同じ時代の同じ文学者でも、夏目漱石の場合、転勤先の松山、熊本など、一時的にせよ住んでいた住宅は歴史保存されているが、仙台に魯迅の足跡が保存されていないのは、どうしたことだろう・・。漱石魯迅の人気度の違いによるものだろうか・・。

さてこの魯迅記念館。日本の資金援助で建設されたと聞いているが、会館入口の瓦屋根と言い、そこここに日本的な雰囲気が醸し出されている。1階が記念品、土産物等の販売コーナーになっていて、展示物は2階の全フロアーを使っているが、日本との関係の一角もある。特に神田の内山書店店主の内山氏との交流は深い物であり、氏からの経済的支援に多大な感謝をしていた跡が窺えた。

勿論魯迅の活動の主舞台は中国であり、晩年はここ上海に居を構えたとはいえ、それ以前の北京時代、幼少期の紹興時代、と彼の多彩な活躍の跡を振り返ることができた。復旦大学は中国を代表する著名な大学であるが、戦前の古い大学正門の写真もあり、同じ虹口区にあるキャンパスは彼の自宅からも近く、人力車に乗っての通勤には便利だったかも知れない。

この時の旅行の3か月後、シンガポールへ行く途次、又上海に立ち寄り、現在の復旦大学キャンパスを訪問したのだが、それはここで見た大学正門の古い写真が頭の隅に残っていたからかも知れない。(上海ー新加坡ー吉隆坡ー曼谷4都旅行記(8)上海復旦大学へ。 
http://blogs.yahoo.co.jp/ciao3776/7212266.html) 

東大赤門程の歴史的価値は無かったのか、この時の写真の正門は既に取り払われていて、近代的な装いの正門になっていたが、それが時代の流れ、世の中の変化なのだろう。魯迅が亡くなって既に80年、彼の事跡も既に遠い過去のものとなっている。
 
 
 
ああ、古い写真が残されている。
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上海・復旦大学の正門の古い写真だ。珍しい。
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ここの売店で売られている書画、骨董品はかなり割高の値段だ。
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さて、記念館を見た後は魯迅公園を歩いてみよう。記念館の裏側から公園への道が続いている。
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中々手入れの行き届いた公園のようだ。
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