前方に秩父神社が見えるが、今は寄らずに、お札参りが終わった最後に参詣することになっている。
秩父神社の横に「柞」(ははそ)の古社がある。ああ、ここが「柞の森」の原点だったのか・・。境内には楢の大木が何本も自生していた。
さてこれから6番目のお寺、第十七番札所「定林寺」に向かう。
市の中心部から少し離れた場所にあり、周辺は長閑だ。
ここは小さな本堂で、寺の住職は不在だが、付近住民の手によって守られている。
県の重要文化財に指定されている鐘楼。
この「少林寺」は秩父神社の近くにあり、市街地のど真ん中に近い場所に建っている。お寺までの道路も狭く、バスが入って来れずに、広い道路で下車して路地をお寺まで歩いてきたが、帰りも同じ道を陣屋の先の秩父駅近くの駐車場まで歩いて行くことになった。
その途中、左手に秩父神社を見て、通り過ぎるのだが、その神社の横手に、小さな神社があって、鳥居の横に「柞神社」と書いてある。ああ、「柞神社」とはここだったのか・・。前回秩父神社に参詣した折、ここが以前「柞の森」と言われた場所にあり、「柞」をご神体としている、とどこかに案内が出ていたのを思い出した。その原点になるのが、この神社だったのか・・。歩きながら、新たに発見した事実に一人ごちた。
2年前この秩父神社に参詣した時、この文字「柞」が読めなかった。神社の解説文を読んで漸くこの文字が「ははそ」と読むことを知った。「ははその森」。何か、懐かしい語感だ。「はは」に通じるものがあるのかも知れない。
「柞(ははそ)」とは見慣れない、聞きなれない言葉であるが、楢、椚、ミズナラ等の広葉落葉樹を差し、「柞の森」とはそうした楢やどんぐりが密生するように自生していた土地に違いない。そう言えば先刻参詣した少林寺の山号は「母巣山」。そうか、「母巣」と書いてあるが、「ははそ、柞」の事だったのか・・。この辺一帯が昔はドングリやナラ、ミズナラの森に覆われていたのだろう。
今回のお札参りでは色んなことを知った。先達さんに確認したい気持ちもあったが、止めておく。もしも知らなかったら、恥を掻かせることになるだろう。・・いやいや、地元の人だったら、そんな事は百も承知しているかも知れないが・・。
再びバスに乗って、少しばかり市の中心地から外れた所にある第十七番札所「実正山定林寺」に向かった。このお寺には住職が住持しておらず、付近の人々が寺守をしているとのことである。三十四霊場でもそんなお寺もあったのか・・
その途中、左手に秩父神社を見て、通り過ぎるのだが、その神社の横手に、小さな神社があって、鳥居の横に「柞神社」と書いてある。ああ、「柞神社」とはここだったのか・・。前回秩父神社に参詣した折、ここが以前「柞の森」と言われた場所にあり、「柞」をご神体としている、とどこかに案内が出ていたのを思い出した。その原点になるのが、この神社だったのか・・。歩きながら、新たに発見した事実に一人ごちた。
2年前この秩父神社に参詣した時、この文字「柞」が読めなかった。神社の解説文を読んで漸くこの文字が「ははそ」と読むことを知った。「ははその森」。何か、懐かしい語感だ。「はは」に通じるものがあるのかも知れない。
「柞(ははそ)」とは見慣れない、聞きなれない言葉であるが、楢、椚、ミズナラ等の広葉落葉樹を差し、「柞の森」とはそうした楢やどんぐりが密生するように自生していた土地に違いない。そう言えば先刻参詣した少林寺の山号は「母巣山」。そうか、「母巣」と書いてあるが、「ははそ、柞」の事だったのか・・。この辺一帯が昔はドングリやナラ、ミズナラの森に覆われていたのだろう。
今回のお札参りでは色んなことを知った。先達さんに確認したい気持ちもあったが、止めておく。もしも知らなかったら、恥を掻かせることになるだろう。・・いやいや、地元の人だったら、そんな事は百も承知しているかも知れないが・・。
再びバスに乗って、少しばかり市の中心地から外れた所にある第十七番札所「実正山定林寺」に向かった。このお寺には住職が住持しておらず、付近の人々が寺守をしているとのことである。三十四霊場でもそんなお寺もあったのか・・
今回ツアーに参加したお遍路姿の男性が代表して鐘を撞く。
古めかしい本堂で、装飾も手が込んでいる。
参詣する人々。
誰が奉納した彫刻か・・。立派なものだ。
庶民のお寺だけのことはある。こんな錦絵のような奉納品も。
天井画も昔は華やかだったに違いない。
定林寺の由縁が記載されている。壬生の武将林氏がこの地で不遇のうちに亡くなり、その子供がこの寺を建立したとのこと。