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日々の連続

ベトナム「ガックリ」旅行記(3)ハノイ大聖堂。

ベトナムの墓地は、田野の中にポツンと一つだけあったり、纏まって墓苑みたいになったりしていて、日本のように、お寺の中のお墓にはなっていない。
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皆、立派なお墓が多い。
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貧しげなあばら家よりもお墓の方が立派だ。
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ベトナムは仏教国である。しかもそれは隣のカンボジアラオスのように東南アジア全般に広く普及している高座部仏教(小乗)ではなく、中国と同じく大乗仏教国である。中国の高層鑑真和尚が艱難辛苦の末、6回目の渡航で来日を果たしたが、その間の5回目には、暴風に見舞われ、渡海船は遥か南方の越南(ベトナム)の地まで押し流されたが、その当時からベトナム大乗仏教国であった。奈良東大寺大仏開眼供養の際にベトナム僧が随伴したのは有名な話でもあるし、鑑真和尚もベトナム僧を従えていた。
 
ベトナムの国民の大半、8割以上が仏教徒と言われるが、ハノイ市内を歩いていても、仏教寺院を見ることは少ない。と言うか、人々の目に付くような場所にはお寺はない。この点が他のアジア国、タイやカンボジアとは大いに異なる点であり、又、教会も少なく、外国から来た訪問客には、ベトナム人は仏教キリスト教イスラム教の三大世界宗教の国ではなく、原始的なアニミズムの土俗信仰の人々と思うかも知れない。
 
バスで一歩ハノイの郊外に出ると、直ぐにも田圃や田畑の田園が広がるが、そうした田畑の一角には、立派なお墓が幾つも立ち並んでいる。日本のお寺の中にある墓地と違って、直ぐ隣では稲作とか果樹を栽培している田野の中の一角に単独の墓があったり、集合体の墓園があったりしている。こうした風景を見ると、ベトナムの習俗は、日本のような寺院(葬式)仏教とは違って、土俗宗教と思えるのだが・・・。
 
ハノイ市内に寺院や教会が全く無い、ということでは無い。それは市内に唯一の宗教施設と言っても良い程の大教会、ハノイ大聖堂があるからである。市の中心部、ホアンキエム湖の直ぐ近くに経っていて、ゴシック建築の大聖堂は、フランスカトリックの粋を集めたものである。
 
そう、この国は嘗てはフランス植民地であった。戦前は仏領インドシナと言われ、ベトナムカンボジアラオス3か国が、嘗てのフランス領だった。第2次大戦時、フランスがナチスドイツに占領され、フランス本国に親ナチスのビシー政権が生まれた時、日本軍は、フランスに代わりこの3国を統治することになった。それは太平洋戦争が始まる直前から終戦までの約4年間の軍政だった。
 
このハノイ大聖堂は今から130年程前、日本で言えば明治の初め頃、フランスカトリック会派により建てられた。それ以来、国の政体が変わってもこの地に立ち続けている。この様な大きな協会は他のプノンペンにもビエンチャンにも存在しない。カンボジアラオス両国は高座部仏教国であり、カトリック会派は浸透が難しいと考えたのか・・。
旧仏領インドシナ3国は今でも公用語の一つはフランス語となっている。しかし同国内でフランス語を話したり理解できる人間は極く限られた少数の人しかいないだろう。勿論ベトナム人の中に戦時中の4年間、この国が日本の軍政下に置かれていた、と知る人は皆無だろう。
 
フランス植民地にしても、今となれば、この大教会とベトナム国鉄の駅名に付けられた「la gare」位だろう。ベトナムは若い国だ。過去の遺物を捨て去って、将来に向かって真っすぐに突き進んでいく。
 
 
 
 
ハノイ大聖堂。パリのノートルダム寺院に似た感じだ。
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中のステンドグラスも素晴らしい。
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聖堂内の様子。
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夜景も素晴らしい。
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