ちゃおチャオブログ

日々の連続

ボロブドールへの3日間(34)ボゴール遊園地での若者。

しかしこの遊園地には親子連れよりも若者の姿が多い。
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若者はここを溜まり場にしていているような感もある。
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ありゃ、馬などもいる。乗馬サービスもやっているのか・・
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若者たちは皆朗らかだ。屈託がない。
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「ハロー、ハロー」、「I am Japanese! I am Indonesian!」
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世界の現場から見れば、日本は老人国、インドネシアは若者国。日本よりは30年、50年も若い国だ。だから、このボゴール駅前の遊園地を歩いていても、若者の姿は目に付くが、年寄りの姿は殆ど見かけない。大体平均寿命が日本よりも相当に低く、70歳を過ぎた高齢者など、それこそこの国では「古稀」の稀有な存在であり、そうした高齢者が孫の手を引っ張って遊園地などへ来ることはなく、自宅でひっそりと老後の余生を過ごしているに違いない。

この遊園地には確かに若者は多いが、そんな中でもある特徴が見て取れる。即ち、男の数が女の数よりも圧倒的に多く、男性優位の社会であるということ。昔、日本の田舎の鎮守の祭りなどでも、男の子供は女の子供よりも倍以上集って来ていて、元気な姿を見せていたが、このインドネシアでは、猶、そうした男性中心の封建的社会が残っているのかも知れない。勿論、その背景にはモスレムという、仏教徒よりは遥かに強い男尊女卑の風潮が生活の隅々まで行き渡っているのかも知れないが・・。

彼等若者とは言葉は通じないが、当方が、インドネシアに在住している華僑系の人間ではなく、日本人か或いは韓国系の人と理解しているのだろう。片言の英語を使ったりして話しかけてくるが、友好的だ。この様な地元主体の遊園地に迷い込んできた外人が、彼等にとっては珍しいのかも知れない。彼等の写真を撮り、カメラのモニターで見せて、喜び合う。単純なことだが、そんなことを繰り返すだけでも、彼等とのコミュニケーションがはかれるようだ。「Japanese」と数回発したので、彼等に多少は日本人を印象付けられたかも知れない。

昔の子供達にとって、村の鎮守の祭りが1年での最大の楽しみ、「遊びの場」であったのと同様、今ここに集うインドネシアの若者は、他に遊びの限られている環境の中、仲間同士で誘い合ってこの遊園地に集まり、日がな1日時間を過ごしているのかも知れない。楽しみが限られた社会である以上、それが普通の事、日常の事と思っているのだろう。ステージで何が始まるか、或は何も始まらないのか、待つことも無くこの遊園地を出て、ジャカルタへ戻ることにした。




比率は少ないが、女性も仲間に混じっている。
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さて、そろそろこの園地を後にしよう。
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見事なブーゲンビリアだ。次の機会まで覚えておこう。
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いやー、ボゴール駅の切符売り場はかなり混んでいる。
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しかし、自動発券機を導入しているので、どんどん捌けて行く。
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