ちゃおチャオブログ

日々の連続

ベトナム「ガックリ」旅行記(22)「パゴダ寺」参詣。

ケーブル山頂駅付近からの眺め。左手の階段が参道の下山道になる。
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下山のケーブルカーがやってきた。
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これから山を下る。
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また、参詣道が見えて来た。
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普通の人々はこの参詣道を歩いて山の頂まで登って来るのだ。
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山も段々低くなる。あの尖った峰が山頂だったのか・・
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漸く麓駅に到着した。
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これからパゴダ寺への参詣だ。

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仏教がベトナム固有の原始宗教、自然崇拝と合体したものなのか、この大きく口を開けた洞窟内に数十の祭壇が設けられ、人々は熱心にお参りしている。鵜戸神宮は、神道と自然の洞窟との合体でできたもので、そこでは鵜葺草葺不合(うがやふきあえず)の神話が生まれたが、ここベトナムの地では、仏教との習合で、どんな神話が生まれているのだろうか・・。

洞窟の外は相変わらずのシトシト雨で、再び石段を滑らないように上り、まばらな売店を通り抜けてケーブル山頂駅まで歩き、ケーブルカーが動き出す一時、周辺の景色を眺める。山が深い。村人はこんな深い山でもどこにでも入り込んで行くのだろうか・・。ケーブルカーがやってきて、再び空中からの森林景色を楽しみ、下山する。

麓のお寺の正式名称は分からないが、ガイドは「パゴダ寺」と言っている。どこかにパゴダでもあるに違いない。古めかしいお寺で、山頂の洞窟寺院と一体になっているのだろう。霧雨の中に本堂が浮かんでいる。いつ頃創建のお寺だろうか。中国に仏教が導入されたのは4世紀頃の北魏の時代だか、ベトナムにも相当に古い時代に渡ってきている。不思議なことに、インドシナ半島で、ベトナム以外の国は、どこも小乗、即ち上座部仏教であるが、ここベトナムのみは大乗だ。それ程、中国との結びつきが強かったのだろう。

ベトナムに仏教が導入されたのは随分昔の事だ。東大寺開眼供養にやって来た鑑真和尚に従ってきた僧侶の一人もベトナム僧だ。日本書紀その他の歴史書にもその僧侶の名前も記されている。鑑真亡きあと、唐招提寺を引き継いだのもそのベトナム僧ではなかったか・・。日本とベトナムとの仏教を通じての結びつきは、案外、我々の知らない歴史の中で積み重ねられていたのかも知れない。そう言えば、バンコクのパークナム寺で修行している平田師をいつか尋ねて行った際、彼は不在で、その隣がベトナム僧の個室で、少し話す機会もあったが、肌の色黒い丸顔の僧侶で、如何にも修行者という感じだった。ほー、ベトナム僧がこんな所にも・・、と少なからず感心したが、考えてみれば、ベトナムはれっきとした仏教国だ。しかも、日本と同じ大乗仏教国なのだ。

奥の院の扁額に「天厨禅寺」と掛かっていた。その前は、如何にも観音様らしい。馬頭観音、観世音を信奉する中国海洋種族が海を下ってこの地やマレー半島までやって来て、彼等独自の仏として、各地にこの様な仏殿を建てていたのだろう。カタイ。そう言えば、先のタイ人奥さんと、マレーシア観光客が、何か分からない、タイ語でも英語でも言葉で話しをしていた。カタイ語なのか・・。

霧雨に煙る古寺を後にして、ボート乗り場に戻り、再び川を下り、町に戻る。不思議な寺だ。深い山に囲まれ、川を渡ってボートでしか行くことが出来ない。その奥の高い峰の山頂には、大きな洞窟があり、深い祠となっている。ベトナム人の宗教の原点がどこにあるのかは知らないが、案外こした自然崇拝との中に、合体しているようにも見えた。自然崇拝ーアニミズム、この二つの寺を見ていて、何か日本との共通点のようなものを感じ、川を下りおりて行った。



正面に見えるのが本堂。如何にも古めかしい。
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本道の正面から山門を眺める。
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ああ、この本堂は「天厨禅寺」と言うのか。正面は如何にも観音像だが・・
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裏に回ると、この寺の歴代のお墓などもあった。
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深い山に囲まれ、永平寺別院、修行道場を思わせる。
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一つの山、一つの峰が修行の場なのだろう。
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奥に僧院も見える。
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ああ、この五重塔をここでは「パゴダ」と称しているのか・・・。
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ああ、この花は日本でも見るような花だ。芙蓉の花か・・。この花を眺め、寺を後にする。
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