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日々の連続

最悪のインド旅行記(33)竹林精舎。

温泉場の裏は小高い岩山になっているが、どうしてこんな場所で温泉が湧きでるのか不思議だった。
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嘗てこの辺りはマガダ国の首都の中心だった。今は、原野が広がっている。
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温泉場から数キロ先に竹林精舎がある。
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敷地内には大きな池があり、お釈迦様やビンビサーラ王なども沐浴したに違いない。
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ビンビサーラ王が寄進した仏教最初の寺院は今は無く、代わりに記念館が建っていた。
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竹林精舎と祇園精舎。日本人にとっては、祇園精舎の方がより多くの人に知れ渡っている。それは平家物語の出だしの一句「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」が人口に膾炙し、且つ又京都祇園の八坂神社や各地にある牛頭天王を祀る祇園社などによって、この祇園精舎と結び付けられ、記憶の中に深く沈殿していた。

その点、竹林精舎は余り馴染みのないものであった。中国三国時代(呉魏蜀)に竹林の七賢人がいて、竹藪の中で酒を酌み交わし、高歌放吟、自由奔放な生き方をしていたが、竹林と聞いて思い付くのは、この中国3世紀頃の故事位か・・。しかし、温泉上がりのドライバーにより案内されたインド・ラージギルの竹林精舎は、仏教徒にとっては大変重要な場所だった。即ちここは五大精舎の筆頭で、お釈迦様は、この場所に最初の寺院を建立したとのことである。五大精舎の中には、先刻訪問した霊鷲山精舎もあったのだが、先刻見て来た通り、今は建物はどこにも無く、鷲が羽根を広げたような大きな岩が山頂にあるだけだった。

竹林精舎は温泉場からは至近の距離で、ラージギルの残滓とも言える小さな集落の同じ中にあった。嘗ては牢獄、温泉場、精舎共々、マガダ国の壮麗な王都の中にあったのだろうが、今は人口希薄なまだらな人家が点在しているような林の中に精舎はあった。風呂上がりのドライバーは車の中でゆっくり休んでもらい、自分一人苑に入る。全くと言って良い程訪問客はいない。静かすぎて、自分が踏む足元の砂利の音だけが周囲に響いているだけだ。

苑に入った正面に大きな池がある。嘗てはこの池の正面にビンビサーラ国王が寄進した仏教教団で最初の寺院があった筈だが今はない。今は鉄筋の記念館とその隣に日本のお寺があるだけだ。日本山妙法寺。先刻霊鷲山の正面に更に高い山があって、その山頂に真っ白なパゴダが建てられていたが、それはこの寺のストーバだ。お寺の名前にあるように、この寺は日蓮系、妙法蓮華経だ。寺の前に大きな池の配置は、日本で言えば浄土式庭園、宇治平等院や平泉の毛越寺などと同じだ。しかし何故かここでは日蓮系が頑張っていた。

池を一周し、記念館に入り、妙法寺にも入る。正面に仏像が数体祀られているだけで、二つの施設とも、中は殆どガランドウだ。この点、中国の寺院とは全く異なる。中国の金満体質と比べたら、こちらは貧乏な貧相体質。しかし本来宗教はそういうものだろう。心の問題で、美術品鑑賞の為にお寺にやって来るのではないのだ。寺にも記念館にも僧侶らしい姿も見えず、全く無人の施設かと思える程だった。2500年前、数多の僧侶、参詣者で溢れていたであろう精舎は、今は過去を反芻する気持ち良い静けさの中にあった。



その隣には日本のお寺、日蓮系の「日本山妙法寺」があった。
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記念館も寺も、中には仏像以外の展示品は全く無かった。
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天竺と言われたインド仏教、中国も日本も変わりない。
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外の境内には南無妙法蓮華経の石碑が建っていた。
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静かな苑の中、足元のクマザサを眺めながら、2500年前を想い、ゆっくりと散歩した。
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