ちゃおチャオブログ

日々の連続

西国観音霊場巡り(18)お寧々通りを歩く。

護国神社の坂を下る途中、正面に八坂の塔が大きく見える。

 

お寧々の道に面した高台寺公園で一休みする。



お寧々通りには古い寺とか事跡が点在している。

 

寧々の道を進んで200m程、右手に高台寺への参道がある。困った・・、又坂だ。少し上がってみたが、足が痛み、引き返す。

 

 

京都東山通りの一本山側に細い通りがあって、そこはお寧々通りと言われている。護国神社を下り降りて、大型バス駐車場の横から、大谷廟に至る凡そ300-400m程の裏通りだ。その通りの中程にお寧々、即ち北政所が亡き秀吉の為に建立した名刹高台寺があるからで、この高台寺の前の細い通りがお寧々通りと呼ばれている。

 

足はほとほと疲れたが、ここまで来たからには高台寺も見てみよう。京都には過去何回も来ているが、この高台寺にはまだ一度も来たことはない。寧々さん所縁のお寺で、庭園も美しい。今まで何でオミットされて来たのか、自分でも良く分からないが、要は京都には大官大寺が数多あり 、自分に取っての優先度が低かったのかも知れない。

 

丁度この通りの入り口に小公園があり、歩き始める前に10数分ベンチで休めたのは助かった。高台寺公園と言って、以前は高台寺の敷地だった所を市に譲渡したに違いない。細長い公園でその前を寧々の道が通っている。先刻までの二寧坂の人出と比べると、汐が引いたような人の少なさで、この公園で休む人も皆無。誰もいない公園ベンチでゆっくりと休むことができた。

 

さて多少は元気を取り戻し、高台寺に向かって歩行を再開する。お寧々小路を100m程進むと右側に高台寺に入る参道がある。石畳で緩やかな坂になっている。奥の山門までは200m程か・・。困った、又坂か・・。7-8歩、5-6m程参道を上り山門に向かったが、どうもキツイ。苦労して寺まで行って、苦労しただけの行く価値はあるのか? 御台所、北政所は以前NHK大河ドラマや昔読んだ歴史小説でも知っている。秀吉亡き後、側室のお茶々、即ち大阪城淀君との女の覇権を争い、正室ではあったが大人しく身を引き、ここに隠棲した。秀吉股肱の多くの武将から慕われ、徳川の世になってからも家康に鄭重に遇された。一度も行っていない寺、一見の価値はあるだろう・・。だが、止めた。足が悲鳴を上げている。

 

寧々の小道に戻り、そこから又少し進むと町カフェのような小さなレフレッシュ店がある。ああ、助かった。アイスコーヒーで生き返ることができた。コーヒーは元気の源だ。20分程一休みし、この小路の正面に見える大谷祖廟まで頑張ろう。そこまで行けば、後は祇園精舎だ。

 

高台寺の向かいには羽柴という大きな茶寮がある。中に客はいないが、髙そうだ。

 

御陵屯所跡などもある。どこの誰の御陵だろう・・。

 

ああ、お寧々の詫び住まい跡。

 

ああ、正面は大谷祖廟だ。