ちゃおチャオブログ

日々の連続

ニュージーランドの1週間(4)CHCH博物館。

博物館は石造りの重厚な建物だ。
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道路を隔てた向かいには、同じく重厚なカンタベリー大学と、その付属の「アートセンター」の建物がある。
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博物館は4階に分かれていて、1階部分にはこの島(NZ)の原初の動植物、人の生活などが展示されている。
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古代にゴンドワナから分離独立したこの島には、4つ足の動物は住んでいなかった、と聞いていたが・・
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古代のマオリ族か・・
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石器時代の石器、石のナイフなどもある。
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ああ、これは骨の釣針だ。
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「紙の聖堂」を見学した後、次に向かったのはこの街の博物館。同じ市内中心部にあり、先刻のフラットになった中心部を横切って行く。この博物館のある一体はゴシック調の石造りで造られた街並みで、ここも又当然ながら地震の被害にあったのだが、大聖堂のあった辺りの直撃された地区と比べると被害は少なく、石の外壁は一部は崩れたものの、建物全体が崩壊すると言ったことはなく、修復作業で現状に復すことができた。

バスを降りて一瞬どこか別の町、別の時代に舞い降りたのでは、と錯覚しそうな時代離れした石造の建物街区が広がっていた。その中でも殊に大きな建物がこの博物館で、正式名称は「カンタベリー博物館」という。又この博物館の道路を隔てた正面にある壮麗な石造建物は「カンタベリー大学」だ。即ち、ここCHCHは、「カンタベリー地方」(Canterbury Region)と呼ばれる地区の一都市で、地方首都となっている。カンタベリーで思い起こされるのは、イギリスにある「カンタベリー大聖堂」。ここにはイギリス国教会最高位の大司教区が置かれている。CHCH,「キリスト教会の街」は、そんな由縁から「カンタベリー地方」と呼ばれるようになったのか・・。そうしたこともガイドに聞いてみたが、その辺の詳しい事情は、流石の彼も把握していなかった。

豪州でもそうだったが、ここNZでも博物館は無料のようで、この数万点にも及ぶ展示物を擁するCHCH博物館も入場は無料だった。外から見ると2階建て程にしか見えなかった建物も、内部は広く、1時間で到底見て回ることは出来ない。1階、入った直ぐの部屋は、この島の原住民、マオリ族の古い時代の生活史が展示されている。いろいろと興味深い展示物が多く、この第1室を見ているだけで瞬く間に時間は過ぎて行き、外のガーデンを散歩する時間もない程だった。この建物、外見と違って、内部は4階建てになっていて、エレベーターまで付いているが、とても上の階まで行く時間もなかった。

「刺青」、「入墨」。「文身」、「イレズミ」は、東アジア一帯の海洋族の発祥と言われる。古くは魏志倭人伝にもその記述があり、倭人は皆入墨をしていて、「鯨面」だと。おお、あるではないか! この博物館にも「鯨面」が! 丁度、魏志倭人伝が書かれた3-4世紀頃、南太平洋の島々にいたポリネシア人は、それぞれ小舟に乗って移動し、一部は北に行ってハワイに住み着き、一部は南に下り、ここNZに辿り着いた。そうした海洋族の一部は、島を伝って、ヤマト(倭)秋津洲までやってきたのかも知れない。博物館の「鯨面」を見ていて、ふと、柳田国男の「海上の道」を思い出した。うーん、弥生人マオリ族は今は無き「海上の道」で繋がっていたのかと・・




何かの歯か骨で造られた首飾り、装飾品。
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古代人が使用していた装飾品。祭りなどの時に使用されたのか・・
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このような仮面はインドネシアその他の東南アジアで見た記憶もあるが・・
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ああ、これは全くのポリネシアンスタイル!
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むむ、縄文土偶の親戚か??
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あ、入墨、文身だ! このマウイ族にも!
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ああ、鯨面! 魏志倭人伝に出てくる「鯨面」とはこんな感じだったのか・・
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