ちゃおチャオブログ

日々の連続

ルソン山紀行(58)マニラ・サンチャゴ要塞。

マニラ湾とパッシグ川に面するサンチャゴ要塞は広大な式だった。
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後楽園球場が10個分位入りそうな大きな要塞だった。
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石造りの城門は重厚だ。
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この門を御朱印船の商人達も通ったに違いない。
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城門の上からは広い園内が見渡せる。
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マニラの原点、エルミタ地区をマニラ大聖堂から真っ直ぐパッシグ川に向かって歩く。川に出る手前の突当りがサンチャゴ要塞だ。アジアに於ける覇権をポルトガルと争う形で、ここルソン島をスペイン支配下に置いたのだが、アジア進出に後れを取り、ここマニラに拠点を作ったのは、漸く戦国末期、織田豊臣時代に入ってからだった。丁度呂宋助左衛門が活躍していた頃に当たる。

マニラ大聖堂とサンチャゴ要塞、更に現在、少し高台に建っている国立博物館の辺りは「イントラムロス」と呼ばれ、当時スペインが構築した城塞都市だ。この地区はぐるりと煉瓦の城壁で囲まれ、その一部は現在も現存している。スペイン人、フィリピン人、メスチーソ、中国人、マレー人、日本人の入り混じった、国際的で刺激的な街であったに違いない。

400年前に造られたサンチャゴ要塞に入る。パッシグ川河口に位置し、目の前はマニラ湾だ。随分広い敷地で、以前同じような港の砦、セブ島のサンペドロ要塞に行ったが、そこと比べると10倍以上は大きな敷地になっている。この町の重要度と規模の大きさが感じられた。400年前からここマニラはルソン、フィリピンの王都だった。勿論そこには国王ではなく、総督が鎮座していたのだから、マニラ総督府と言った方がよいかも知れないが・・。

要塞の最前方へ行く。分厚く頑丈な石造りだ。窓もあるかないか、あったとしても小さなのぞき窓程度だ。テラスの上には数問の大砲が赤錆びた状態で置かれていた。砲門はキット海と川に向けられている。川の反対側は中国人エリアだ。ごみごみした感じのビルや建物が建ち並んでいる。小さな船舶修理場なども海に面している。小型船舶が何を積んでいるのか、中国人エリアの桟橋等を行き来している。400年前の兵士も城壁の上からこうした光景を眺めていたのか・・。尤も当時は今見るようなエンジン船ではなく、サンパン(三板)のような1本マストの帆掛け船だっただろうが・・。

砲台のテラスから海と川をしばらく眺め、元の出口に向かう。当時の兵士の練兵場だったのか、広い敷地が今は広い中庭の公園になっている。色とりどりの南国の花が咲いている。その前には、この国の独立の獅子、ホセリサールを記念する2階建ての記念館がある。つい最近、ここ数年前に立てられたような新しい建物だ。中に入り彼の事績を追う。外見上は線の細い知的な学者風な風貌だ。が、彼が米国独立運動の精神的支柱であり、戦後、独立を果たしたのだ。

サンチャゴ要塞の前には何店か大型の土産店など立ち並んでいて、その内の一つに入り、BUKUジュースを飲む。南国のパッションジュースのようなものだ。日差しが強く、喉に気持ち良い。民芸店に立ち寄り、貝殻のスプーンと皿を買う。良い記念になるだろう。さて、これからこの先の国立博物館まで行くことにしよう。




マニラ湾に面して砲台跡のテラスがあった。
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パッシグ川の対岸に見える中国人居留地。今は大発展している。
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城塞内の広場。嘗ては練兵場だったか・・
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広場で寛ぐフィリピンの人々。
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嘗てのWallの跡が今でも残されている。
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記念館の前に立つフィリピン独立の英雄、ホセ・リサール像。
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