ちゃおチャオブログ

日々の連続

台湾・高雄の4日間(7)旗津の海鮮食堂で。

旗津の飲食店街の1軒に入り、空芯菜をつまみに、先ずはビールで乾杯!
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店先に並んでいた食材を適当に選んで調理してもらった。これはナマコの八宝菜。
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珍しいキビナゴの炒めなど調理された。
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日本名で何貝と言ったか・・。尻高程は旨くない。この後芝エビが一皿でてきたが、写真撮りを忘れた。
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食後、すぐ近くの道観に寄る。
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午後高雄に到着し、ホテルにチェックインしてから最初に来た場所がここ旗津半島で、先刻は灯台台湾語では燈塔と言うが、のある丘の上に登り、夕暮れ時の高雄港を眺め、もう既に日の暮れた灯台元暗しの住宅地を通り抜け、フェリー乗り場前の繁華街にやってきた。道路の両側には10店舗程の海鮮食堂が並んでいて、それぞれの店の前には、生きたままの魚介類が並べられていて、呼子の掛け声も凄まじい。中を見るとどこも店内はいっぱいのお客さんで、大きなテーブルを囲んでの、小宴会たけなわだ。

比較的空いていそうな店を選び、入口の魚介類を選んでいると、日本人と見て取ったのか、片言の日本語で誘いを掛けて来る。まあ、当方日本人だ。云われなくたって魚のことは分かっている。魚を知らない中国人じゃないのだから、煩く付きまとわらなくても良いよ、と言ってやりたい位だが、生憎中国語は分からない。珍しくナマコが何尾かバットの上でのたうっていて、今頃の季節、南海の海でどうかとも思ったが、日本でも暫らく食べていなかったので、ナマコを注文した。それから貝も、この巻貝の名前忘れてしまったが、日本にもあって余り高級ではない。という事は、尻高のようには余り美味しくはないということだが、後は、如何にも鮮度の悪そうな抜身の牡蠣位しかなく、取り敢えずは、この二つをお願いした。

冷蔵庫から台湾卑酒(ビール)を取り出し、飲んでいると、先刻頼んだ料理が出て来た。矢張りナマコは生身ではなく、野菜と一緒の炒め物にしてある。まあ、南方のナマコだから、生の酢で食べても美味しくないのだろう。大陸風の味付けで、これはこれで、中々良い味付けだった。中国人は何でも味付けしたがるが、こんな風にしてナマコを食べるのも、一風変っていた。

それから塩ゆでした巻貝も出て来たが、少し塩味が足りないようだった。元々の味覚かも知れないが、矢張り冷たい日本の黒潮で育つサザエや尻高、波の子、ハマグリ、などの貝類と比べると、南国育ちは、一段下かも知れない。香港のお金持ちがグルメ旅行で日本へやってくる理由も、ここでこうした海鮮を食べると、理解できるようだった。それはバンコクパタヤの水上レストランで味わった味覚と同じような感じのだるいものだった。

長尻で店に申し訳なく、最後に芝エビの塩ゆでを一皿頼んだが、それは隣のテーブルのアベックが美味しそうに食べているのを見ての追加だったが、出て来た大皿には4-5人分はありそうなエビが山盛り。ああ、これは芝とかボタンではなく、一頃問題になったバナイエビかも知れない。話しは前後するが、明日特急に乗って台湾東部の池上まで行くが、塀東を過ぎた辺りに一面の養魚場があったが、これ等のエビが大量に養殖されているに違いない。

大ビンの台湾卑酒も数本飲み、料理もかなり食べ、周りのテーブルの客も帰ってしまって、我々二人が最後の客の様子。店員などは、テーブルの片付けなども始めている。稲さんがプリン体の関係でエビが食べられないと言うのを知らず頼んでしまったが、4-5人分の大皿のエビを殆ど一人で平らげ、店を出ることにした。これだけ食べて飲んでも僅かに600元そこそこ、2500円程度にしかかからない。尤も、当方、単価の安めの食材を選んだ結果ではあったが・・。ほろ酔い加減で店を出て、直ぐ隣にある道観に煌々と明かりがついていて、立ち寄って、お参りの様な真似をして、フェリー乗り場に向かった。



台湾、その向いの福建、山東などの海洋族は媽祖信仰が盛んだ。
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この時間でも熱心にお祈りしている人もいる。
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フェリー乗り場の向いにある交番。台湾では、交番制度が生活の中に定着している。
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台湾警察の立派過ぎるバナー。
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高雄港の夜の海。これからフェリーに乗って、ホテルに戻る。
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