ちゃおチャオブログ

日々の連続

台湾・高雄の4日間(28)臺灣國鐵旧高雄(打狗)車站。

日蓮池に行く直前に撮った旧高雄駅。
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今日は旧駅舎内に入れる。中に入ってみよう。
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Renewalされた内部は、建設当時の息吹が感じられた。
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映像資料とか写真、展示、パンフ等々、この町と鉄道の歴史を学ぶ良い機会となった。
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館内にあったパンフ類。
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旧高雄駅・高雄車站は、太平洋戦争が始まる直前の1941年6月、清水組(現清水建設)により竣工されたものである。戦争直前の輸送力増強の為、高雄港は急速に整備改良され、この時、北部の軍港、基隆(キールン)との間406キロが1本の線路で結ばれ、台湾縦貫鉄道網が完成したのだった(但し1908年には既に高雄北郊の鼓山まで開通していた)。この時の高雄駅は戦後も長らく使用され、2002年新駅が出来て、現在の場所に移転されるまでの約60年間使用されてきただった。

正面から眺める駅舎の形は、以前の上野駅の東口から眺める形に似ていて、中国大連駅が上野を模して造られたと言われているが、その形は上野の南口方向から眺めた形に似ているものであって、同じ上野でも、この高雄駅とは、やや違ったイメージを与えるものであった。当時としてはかなり大きな建物で、同じように戦前の日本治世下に建設された台中の駅舎(現在重文指定)よりは3-5倍も大きなものだった。

現在この駅は無料の博物館になっていて、毎週月曜日及び祝祭日以外は毎日10時から6時まで開館されている。昨日は訪問時間が早く外の道路からの見物だけだったが、今日は既に開館していて、館内(旧駅舎)に入ることができた。しかし何故かしら訪問者が我々二人だけだったのは、少しばかり残念な気もした。台湾人にとっては嘗ての日本の業者が造った建物には関心が薄いのかも知れないが・・

今は博物館になっている旧高雄駅。中にはいろいろと高雄の発展史、鉄道延伸の経過、将来の地下化、等々、色々なパネルや古い写真で解説があって、旧高雄駅が1941年に旧清水組によって建設あれたことは、これ等の案内で知ったことだが、この中で特に目を惹いたのは「打狗」という文字だった。

「打狗」。これは単なる文字ではなく、地名だった。現在この町を高雄と表記しているが、それ以前のこの町は「打狗」と表現されていた。「タカオ」。日本併合前からこの町に住んでいた高砂族等の少数民族は「タカオ」の地名を「打狗」と表記していたのだ。それが1920年(大正10年)、この町の市区改正により、従前の「打狗」から現在の「高雄」に変えられたものである。従って、それまでの駅名も「打狗車站」と表記されていたものである。

一昨日の夕刻、地下鉄に乗って西子湾駅まで出て、そこからフェリーで旗津に渡ったが、その西子湾駅の直ぐ傍が旧打狗駅で、壽山(鼓山)の麓に当たり、現在そこは「Takao Railway Museum=打狗鐵道故事館」として保存されている。池上に向かう2時間程の空き時間を使い、高雄郵便局、或はここ旧高雄駅博物館に来て、高雄の色々な歴史を学ぶこともできた。



「打狗鐵道故事館」とある。旧高雄駅のことだ。
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過去現在未来。今現在高雄駅は地下化工事が進行中で、近い将来新幹線地下駅が高雄に完成する。
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博物館敷地には、当時の駅前に展示されていたさざれ石(緋鯉)も保管されている。
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高雄駅前の様子。10年後、20年後には、この辺りも大きく発展しているだろう。
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大仁科技大学。日本語ではオオヒトと読むが、ここでは何と呼ばれているのだろう・・
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