ちゃおチャオブログ

日々の連続

行き違いのタイ旅行(18)フアランポン駅での朝食。

漸く正面に駅が見えてきた。
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フアランポン駅プラットホーム(ชานชลา สถานีรถไฟหัวลำโพง)。
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到着ホールの丸天井が見える。
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ああ、日本製の重機、クレーンを使って何かの工事をしている。
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この駅に来たのも久し振りだ。
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バンコク中央駅、正式名はバンコクタイ語で言うところの「クルンテープ駅」(สถานีรถไฟกรุงเทพ)であるが、タイの人々は昔からこの駅を「フアランポン駅」( สถานีรถไฟหัวลำโพง)と呼んでいて、この通称名が今や一般的となり、ガイドブックなどにもそう記載されている。詳しい意味は分からないが、最初の「フア」(หัว)が「頭、先頭、基本」等の意味であり、それに続く「ランポン」(ลำโพง)。それ自体の意味は「メガフォン、ラウドスピーカー」であるが、ひょっとして、この駅舎が出来る以前のこの土地の名前だったのかも知れない。

それにしてもどこから見ても欧州風の駅舎だ。ミラノやローマの「テルミナ」、Terminalを思い起こさせる。ホーム全体に半円形のドーム屋根を被せ、乗客を風雨から守っているが、こういう構造は日本では余り見られない。新幹線東京駅でも新大阪でも、或いは在来線でも、ホームの上には屋根はあるが、線路の上にまでは屋根は付いていない。だからいつも感ずることだが、このフアランポン駅舎を見る度に、欧州の息吹を感ずることができる。

今から約100年程前、日本で言えば大正時代にこの駅舎が建設されたが、日本でも丁度この頃赤煉瓦の東京駅舎が建設された。日本では辰野金吾と言う世界的にも著名な設計者がいて、東京駅や日銀本店などを日本独自の技術で建設したが、果たしてタイの場合はどうだったか・・。当時のアジア諸国は英仏独伊蘭の西欧列強の草刈り場で、タイも例外ではなかった。しかしタイには当時も英明な君主がいて、こうした列強の力のバランスの上に上手に乗っかり、互いを競わせることにより、アジアに於いて日本以外に唯一植民地化を免れたのだった。当時のタイには日本が持っていたような技術も設計者もおらず、この駅舎もどこかの国の援助により建設されたものと思うが、それはどうもイタリアではないかと疑っている。このドームの形は、今はビルの中に納まっているが、旧ミラノ駅舎を思い出させるのに十分な形状をしていた。

最初にこの駅舎を見てから10数年、その後、何回となくこの駅を利用しているが、ホームも改札口もその前の大ホールも構造は全く変わっていない。ホールの2階には回廊のレストランがあり、1階改札隣にはフードコートもある。朝のほんの散歩の積りで列車に乗ったが、思わぬ時間も経った。早目に朝食を済ませ、ホテルに戻らなければならない。3人を待たせている。フードコートで、簡単に朝飯を食べ、帰りは地下鉄、スカイトレインを乗り継ぎ、急いでホテルに戻った。



懐かしいバンコクのテルミナ。この半ドームの丸屋根を持っているのは、タイではバンコクだけだ。チェンマイは日本式の開かれたホームになっている。
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到着ホール。2階の回廊も昔のままだ。
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改札待ちのお客さん。正面が改札口だ。
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かなり大勢の人が列車待ちをしている。どこまで行くのだろう・・
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取り敢えず、フードコートで朝飯を食べる。
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