ちゃおチャオブログ

日々の連続

台湾・高雄の4日間(31)屏東駅を通過し椰子園へ。

高雄駅隣のホームには、日立車両の特急が停車している。これは台北ー台中ー台南ー高雄ー屏東ー台東を回る、南回線だ。
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高雄駅を出て直ぐにも大きな川を渡る。
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川の名前は知らないが、かなり大きな川だ。信濃川程もある大河だ。
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高雄を出て凡そ30分、最初の駅にやってきた。
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ホームの看板を見ると「屏東駅」と出ている。ああ、ここが屏東か・・。荘さんの故郷だ。
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今駅は大々的な工事中で、新駅が建設されている。ここまで新幹線が延伸してくるのだろうか・・
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高雄駅を定刻の10時40分に出発した自強号は、時々降ったりやんだりする小雨の中を一路南方の台湾島の先端に向かう、と思いきや、南端の岬には向かわずして真っ直ぐ東に向かって平野部をひた走る。この列車に乗るまで、台湾鉄路はバシー海峡を望む岬近くまで行って、ぐるっと1周するのかと思っていたが、そうではなく、屏東市は高雄の真東に位置していて、南端の岬付近ではなかった。屏東という地名に台湾の最南端とのイメージを抱いていたが、その想像は大いに外れた。

途中の大きな川を渡り、30分程で屏東駅に到着する。高雄を中心にして北に台南があり、東に屏東があり、この二つの都市は高雄の衛星都市の位置付けとなっている。駅は現在大改造中で、新左營と同じように、駅ビルを立体化し、線路も高架にしている。新幹線は高雄を通過し、この屏東駅まで延伸されるのだろうか・・。そんなイメージも抱かせる大々的な駅の改造だった。

立川で「斎料理」の店を開いている荘さん(店名:Seven Bell’s)は、日本に来る以前は、この町で生まれ育ったという。東京の二松学舎を出ているが、その時は、ここから列車に乗って高雄駅まで出て、それから空港へ行って、成田までやってきたのだろうか。どんな思いで日本の大学に留学したのか、背景は知らないが、経済的にも時間的にも大変なことだったろう。

屏東駅で何人かの人が乗車してきて、それまで4割程度の乗車率が6割位に増え、2-3分停車した後に、更に東に向けて出発した。駅を出ると直ぐにも椰子のプランテーションが広がり、見渡す限りのヤシ林になる。これだけ広範囲に椰子の樹林が広がっている光景を見たのは初めてだ。すべてを食用にする訳ではないだろう。戦前から行われているヤシ油、パームオイルのプランテーションなのだろう・・。それにしても誰がやっているのだろう・・。台湾資本か、中国人か、日本企業か・・。広告も宣伝も一切出てなく、緑の椰子の葉陰が遠い先まで広がっていた。



荘さんに思いを馳せる間もなく、列車は屏東を後にする。
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屏東はこじんまりした、住み易そうな町だ。荘さんはこんな良い町を出て、何で日本にまでやって来たのだろう・・。
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町を出ると直ぐにも椰子林が広がる。
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凄い広さの椰子のプランテーションだ。
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ああ、ヤシ林の中のアパートだ。どんな生活をしているのだろう・・。
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又直ぐにもヤシ林が続く。ここから一体どれ程の量の椰子の実と椰子油が採れるのだろう・・。
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