ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(123)九龍駅周辺の変貌。

九龍駅の古い駅舎は取り払われ、今はモダンな駅ビルになっている。
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随分モダンで立派な駅舎に変わったものだ。
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駅の外に出て更に驚いた。周囲を超高層ビルが取り巻いている。
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いやー、すごいものだ、駅周辺の情景は一変している。
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昔の雑多な中高層マンションのイメージからは全く想像もつかない。
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今から200年程前、ポルトガルに遅れて極東にやってきたイギリスは、マカオの向いにある香港島に足場を作り、この島を足掛かりとして中国大陸へ進出していった。江戸末期、香港島は既に英国植民地下に置かれ、幕末の志士、伊藤博文や一昨年のNHK朝の連ドラ「マッサン」に出演した五代友厚など、その後の明治期の国造りに活躍した青年を香港を拠点とするイギリス商会の援助でこの香港島経由で英国へ送っていた。既にその当時からここは重要な貿易中継地であった。

イギリスは当初はマカオ同様に島だけの領有だったが、直ぐにも半島の一部、今あるペニンシュラホテルのごく限られた周辺の一部も領有し、それによって香港海峡は英国の完全支配下に置かれることになった。その後も大陸の一部を徐々に侵略し、現在の九龍駅付近まで広げた。香港中心部から見たらこの辺りは英国人の住まない中国人Onlyの地区のようなもので、先日、悠久のボヘミアンさんから当方ブログにコメントのあった悪の巣窟「九龍城」などもこの付近にあった。

それから暫くして、香港の後背地を更に広げる目的で、イギリスは九龍以北、昨日入境した深圳の羅湖までの広範な地域を領有することになり、そこは英語ではNew Teritory,中国語で新界(サンカイ)と呼ばれることになった。50年前、友人と一緒に列車に乗って、九龍駅から香港・中国国境、深圳まで行った時、この新界地区を通過して行ったのだが、香港都心部とは違って、無法地帯とは言わないまでも何かしら緊張感を覚えた。

当時の始発駅、ターミナルの九龍駅は、大きな駅舎で、欧州の鉄道駅のようにホーム全体を半ドームの屋根で覆った、古くて暗いが、何かアジア的でないモダンな感じの駅だった。広軌の列車に乗ったのは初めての経験だったが、乗客は羅湖駅に着くとぞろぞろ電車を降りて、通関を済ませ、中国側に歩いて行った。我々は中国へ行くわけではないので、ぺんぺん草の生えているような深圳を眺め、又その列車で香港へ引き返したのだった。

今、50年振りにその九龍駅に来た。いや、正確に言うと、1週間前に香港空港から市内のホテルに来た時に、空港から乗車した地下鉄をこの駅で降り、地下のバス発着所からバスに乗って来たのだから、1週間ぶりにこの駅に降り立ったと言うほうが、より正確だろう。ただ地上へ出るのは今日が初めてだ。

先にも書いたが、20数年前、半島と香港を結ぶ地下自動車道と地下鉄が貫通した時、この古い駅舎も取り払われ、同時に周辺の悪の巣窟のような古い建物も取り壊されて、眼を見張るような近代的な街並みに変わった、というニュースを目にしたことがあった。50年振りに見る九龍駅界隈の情景。既に地下鉄乗り換え口から感じていた大いなる変化、変貌は、駅の外に出て極点に達した。全く別の新しい街区がそこにあった。50年前の新宿西口、淀橋浄水場跡地の記憶しかない者が、50年振りにやってきて、西口に聳え立つ超高層のビル群を眺めた時と同じような驚きだった。



ひやー、言葉を失う。
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中国・香港の資本力、経済力。
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ああ、ここに香港島に渡る自動車道の入り口がある。
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すぐ外には港も見える。
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船も沢山見える。
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港コウベ、ヨコハマは世界10傑の座からいつの間にか滑り落ちたが、ここ香港は尚世界1、2を争っている。
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