ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(11)グエル公園頂上広場からの展望。

回廊から100m位登った先に頂上の広場がある。
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自転車好きのスペイン人、自転車で丘の上までやってくるグループもいる。
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山頂はかなり大きな広場になっている。
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広場の端からはバルセロナ市内が一望だ。街は碁盤状に整備されている。
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サグラダファミリアを探すが、直ぐには分からない。
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バルセロナの市街地から程近い場所にあるグエル公園は、小高い丘になっていて、高さも精々150m位なものだろう。公園の中程にある中央回廊から山頂、山とは言えないような丘だから山頂は大げさで、丘のてっぺん、頂上までは高度差で言って70-80m、小道を登って行っても10分もかからない。公園を散歩しているほぼ全員は観光客のようだが、もしもこの公園が無料で開放されていれば、付近住民の丁度良いエクササイズ、日課の散歩コースになるに違いない、程よい高さの丘だ。

丘の頂上は平たんな広場になっていて、高さとか山の雰囲気は異なるものの、どこか高尾山の山頂、十国見晴らし台に似ている感じでもある。頂上広場の南端に大勢の人が集まっている。そこからはバルセロナ市内が一望に見渡せ、皆その眺望を楽しみ、記念写真を撮っている。この公園に来るまで、バスで坂道を登って来たが、公園入口自体がカタルーニャ広場からは100m位上がっているだろう。だとすると、この頂上の高さは250m位はあるか・・。眼下に市内が一望に見渡せる。

まず最初にサグラダファミリア教会を探したが、方向がどうもよく分からない。漸く探し当てたが、間近ではあれ程大きく見えた教会も、この丘の上からでは教会の真下から見上げた時と違って、殆ど圧倒感はなく、教会そのものよりも、それを取り巻く数機のクレーンの方がより目立った。はっきり言って、教会の尖塔よりも先にこのクレーンを探し当て、教会を同定したと言っても良い。

飛行機の中から見えた碁盤目状の街筋は、この丘の上からでもよく分かった。旧市街の中心部から広がり、前世紀の都市計画でこの様な、京都のような条目都市が作られたのだ。70年前、東京墨田が爆撃により焼け野原となったが、戦後の復興に際し、墨田区のその辺りの道路は碁盤目状に整備されて現在に至っている。同じように焼け野原となった広島ではそれが出来なかった。その違いは痛めつけられたダメージの大きさの違いによるものと思うが、この街バルセロナでは、そうした災害を契機とせずに、自らの都市計画の中で、このような整然とした街並みを作って来た。白人種の中で、スペイン人を一段低く見てきたが、こうした自発的な計画性など見ると、彼等に対する偏見を変えていかなければと思った。

港を今白い豪華客船が出ていく。これから地中海クルーズか大西洋に向かって行くクルーズ船だ。去年Takaさんは、この港からジブラルタルを渡り、カナリー諸島までクルーズした。殆ど日本人の行かないコースだ。40-50年前、半世紀前のカナリーと言ったら、大西洋マグロを漁獲する遠洋漁業の基地だった。当時の日本人は、今もそうか知れないが、世界中の海に雄飛し、日本の食卓を豊かにしていた。今も尚カナリーが日本の漁業基地になっているのかどうかは知らないが、今では日本人も豊かになって、漁労で出かけるのではなく、Takaさんのような、観光クルーズで出かけるようになった。港を出ていく白い客船を見て、Takaさんは船窓からこの町、この丘をどんな風に見ていたのか・・。確かに自分を生きている。今を生きている。



白いマンションの向こう側に漸くクレーンの頭を見つけた。サグラダファミリアだ。
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真下ではあれ程大きく見えた教会も、山頂から見ると意外と小さくしか見えない。
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超高層ビルはぼやけてしまったが・・
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街の反対側にはモンジュイックの丘が見える。バルセロナオリンピックが行われた場所だ。
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今港を豪華クルーズ船が出ていく。去年、Takaさんもこんな風にカナリーにクルーズしのか・・。
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