ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(23)サンチャゴ大聖堂の裏通り。

行列を避けるために大聖堂の周辺を少し歩くことにした。
イメージ 1



狭い通りが連なっている。昔の儘の道路だ。
イメージ 2



人々はこんな風に通りを歩いていたのか・・
イメージ 3



あ、ここにも一人乞食がいる。首に何かプラカードを掛けているが・・
イメージ 4



戻って来ると先刻よりは大分行列も減っていた。
イメージ 5




大聖堂に入ろうとする参詣者の列が数百mにも及び、このまま待っていたら、どれ程時間がかかるか分からない。一旦列に並ぶのを諦め、周辺を散歩することにした。考えてみたら今日は日曜日。敬虔なカトリック信者の多いスペインでは、日曜日の朝はどこもこんな感じで、日曜礼拝にやってくるのだろう。特にここ大聖堂には沢山の帰依者がいるに違いない。

サンチャゴとはキリストの12使徒の一人、聖ヤコブのことで、エルサレムで殉教した後、遺体はこの地に運ばれ、ここで埋葬されたとのことである。サンチャゴ・デ・コンポーステラとは、「聖なる星座サンチャゴ(聖ヤコブ)」と言ったような意味のようである。自分はクリスチャンではないので、良くは分からないが、キリスト教徒にとってここサンチャゴはローマ、イスラエルと並ぶ、3大巡礼地の一つということである。そういうことで、今日のこの行列は町の人の日曜礼拝と世界中からやってきた礼拝者とが合わさって、沢山の人出になっているのだろう。

少しどこかで暇つぶしをすれば、今のこの行列も多少は減っているかも知れないと、周辺を歩く。車や馬車が発達する以前にこの町の骨格ができたに違いない、通りは全体に狭く、車1台が漸く通り抜けられる程だ。丁度日本の都市化かが進んだ初期の頃、町は郊外に膨張して行ったが、その際、農地が潰されて宅地化されたが、農道をそのままアスファルト道にしたので、道路は狭く曲がりくねった状況と似ていた。尤もこちらは元の中心部が狭く、後から出来た外側の道路は広々していて、日本とは逆の現象ではあるが・・。

そうした処、路地に又一人首に何かのプラカードを掛けた乞食にであう。スペイン語を読むつもりもなく、又呼んでも理解しえないのだが、多分、家族の事、子供の事、自身の窮状を訴えているのだろう。昨日のバルセロナではこうした乞食には全く出会わなかったが、乞食にも土地柄、風土性があるようだ。

この乞食については、帰国後、今回の旅行記をスタートさせたが、一昨日スペイン事情に詳しいChurrosさんから、乞食についての説明があり、スペイン語では「メンディーゴ」と言って、身なり、状況によって呼び方も違い、貧しさを訴えるために子供のレンタルもあるそうだ。乞食のプロフェッショナル。矢張り一つの職業になっているのか・・。それにしても日本の振り込め詐欺よりは可愛いものであるが。

さて周辺をひと歩きし、大聖堂に戻ってくると、先刻よりは大分列も減っている。チケットブースがある訳ではないので、人の波はどんどん前に進んで行く。それ程長い間待つこともなく、入り口に着くことができた。入り口の前には古めかしい石像と泉(ファウンテン)がある。聖ヤコブの像と、聖なる泉。人々はその泉に手を指し伸ばし、頬とか額を湿らせている。礼拝前に身を清める行為は日本の神社の御手水と同じ思想だ。これも又どちらが先か後か・・、異地域、異文化における人間精神上の同時発生的な行為と見てよさそうだ。

さてこれからいよいよ聖堂に入る。外から眺めても古くて威厳のあるこれぞゴシックと言った感じの大理石の尖塔が目前に迫って来た。この造りはミラノ大聖堂に似ている。同じ流れかも知れない・・。



行列も先刻よりは大分減っているか・・
イメージ 6



ああ、キリストの使徒、聖ヤコブだ。
イメージ 7



ヤコブ像の足元の泉で、人々は身を清める。コインも投げ込まれている。日本のお賽銭だ・・。
イメージ 8



サンチャゴ大聖堂。立派な建物だ。
イメージ 9



さて、もう直ぐ入館だ。
イメージ 10