ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(25)サンチャゴ大聖堂を出て、裏通りでの昼食。

大聖堂堂内にはいつまでも祈りの唱和が続いている。
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自分も旅の無事を祈り、中央祭壇の裏に回る。
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半地下道の胎内くぐりのような場所に出た。
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ここには聖パブロの棺が安置されている。
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時空を超えた何かゾクゾク感が漂っている。
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外に出ると昼間の陽光がまぶしい。まだ多くの参詣者が列を作っている。
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堂内に響き渡る抑揚の利いた流れるような神父の説教が続いている。早々とやってきた信者の多くはベンチ椅子に座ったまま殆ど身じろぎもしない。皆が皆、1週間の罪を懺悔している訳ではないだろう。自身の事、家族の事、健康長寿、将来の夢、等々神仏に祈る内容は日本人とそれ程変わらないだろう。自分も少しこれからの旅行の安全を祈念し、中央祭壇を離れた。

広い堂内には、日本流に言う処の陪神、随神、兄弟神や関連神が祀られている。キリスト教はキリストを唯一神とする一神教の世界だが、現実にはこうしてキリスト以外の神々に帰依する人もいて、例えばマリアとかこのヤコブ、ペテロ、ミカエル、等々、多神教とまでは言わないまでも、複数の神々を祀っている。キリストとヤコブ、ミカエル等の関係は、お釈迦様と弘法大師日蓮上人等の関係と似ているのかも知れない。

中央祭壇の後ろには半地下の通路があり、そこには聖ヤコブの聖櫃が保存されている。日本でいう胎内くぐりのような感じで、人々は象徴的に展示されている緋色のビロードに触れ、中にはキスをして、聖櫃に祈りを捧げる。ヤコブ自体はキリストの使徒で、死んだのは紀元1世紀代だが、お墓がこの地で発見されたのは9世紀になってから。

その後この地はイスラムに占領されたが、更にその後の12世紀になってからのラコンキスタ、イスラムからの領土奪還戦争により、この地も回復し、聖ヤコブを祀る大聖堂も整備されてきた。通路の奥に安置されている聖櫃が何時頃造られたのかは知らないが、多分この頃、白人世界がラコンキスタに勝利し、国土を回復し、異民族に対する自信を持ち始めた、この頃かと思われる。

重苦しい雰囲気の藩地下道の胎内くぐり、それはカイロ博物館で5000年前のツタンカーメンのミイラを見た時や、奥州平泉の金堂、タイチェンマイワットシーの即身仏等々に接した時に感ずると同じような感覚で、時空を超えた霊魂の不滅を身近に感ずる空間のようにも思えた。胎内くぐりを出た先が小さな土産ショップと展示室になっていて、この大聖堂の歴史などを学ぶことが出来る。熱心に見入っている人も多い。

外はかなり暑い。昨日バルセロナカタルーニャ広場近くで買った帽子を今朝早くも空港で失くしてしまい、土産店で再び防止を買う。この巡礼道にちなんだ「CAMINO SATIAGO」だ。8ユーロ、1000円もしない帽子だからMade in China」かも知れないが、良い記念にはなるだろう。

巡礼帽を被って、ちょっとした巡礼者気分になって、裏通りに入り、昼食場所を探す。人通りの少ない裏通り、テーブルを道路まで広げて、陽光の下、気持ちよさそうなバーがある。ああ、ここにしよう。大聖堂を見た後で気分も爽快だ。



相変わらず沢山の人だ。高野山よりも沢山の人だ、
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外の土産ショップで巡礼帽を買って。
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裏通りに気持ちよさそうなバーが見える。
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客も少ないし、ここでお昼を食べることにした。
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又々サンドイッチになるが、こういう国だと思って諦めよう。
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陽光の下、それが何よりのおかずだ。
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