ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(70)リスボン・サンロケ教会。

暫くテージョ川を眺め、この広場を後に、丘の上の城塞に向かうことにした。
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路面電車の坂道を登って行くと、正面に見事なゴシックの教会が見えてきた。
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教会の前には乞食もいるが数は少ない。
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教会内部は荘厳な造りだ。
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ああ、瑠璃のステンドグラス!
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ここはカテドラルではなく、サンロケ教会だ。
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西欧のキリスト教国では、どんな小さな集落にも教会があり、ちょっとした規模の町では、幾つかある教会を束ねる形で、その町の中心的教会、大聖堂がある。カテドラルである。ポルトガルは隣国のスペイン、イタリア、フランスと共に、敬虔なカトリック国であり、市内には教会も数多く、贅沢に造られている。コマーシャル広場(プラザドコメルシオ)から目の前のテージョ川を眺め、これから歩いて山上の城塞まで行くのだが、この街のカテドラルはその丘へ向かう中腹にある。

ロシオ広場からこのコメルシオ広場へ来るまでの目抜き通り、このコメルシオ広場周辺の建物、等々、歴史を感ずる重厚な建物が並び、16,7世紀の世界の覇権国だった頃の富の蓄積を感じさせられるが、この広場から山上に向かう道路は途端に狭くなり、その狭い道路を路面電車が歩行者すれすれに通り過ぎて行く。この辺りの街並みは先の目抜き通りが富の象徴として整備された以前から、この街の早い段階から通りが形成されてきたのだろう。

狭い道路をガラガラ音を立てて通り抜ける路面電車の横の坂道を登り始めて、暫く上がると、正面に壮麗な大理石造りのゴシック建築が見える。大勢の観光客が正面ドアを出たり入ったりしている。入り口付近には乞食が一人二人両手を差し出して、恵みを求めている。縄張りとか人数制限でもあるのか、5人10人と言った大勢の乞食が列を作るということはない。一人二人のお婆さんだ。

内部は流石に大カトリック国の教会に相応しい豪華さだ。ここがこの町のカテドラルと思ってやってきたが、地図を当たると、ここはカテドラルではなく、その手前にあるサンロケ教会。カテドラル程有名ではないが、ここは1584年に天正少年使節団がここへやってきて、1カ月ほど滞在したとのことである。天正遣欧使節団。九州のキリシタン大名イエズス会の助けを借りて、伊東マンショ千々石ミゲル中浦ジュリアン原マルチノの4人の若者をヴァチカンのローマ法王の元に送った使節団のことだ。彼等はこの教会で起居を共にしていたのか・・。

イタリアバロック建築の傑作と言われるこの教会、彼等4人の目にはどう映っただろうか・・。皮肉なことに4人が沢山のキリスト教文明、教義を身に着けて帰国した時には、日本は既に徳川の世になっていて、既にキリスト教に対する弾圧が始まっていた。



ここはカテドラルではなく、サンロケ教会だ。
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天井も素晴らしい!ゴシック建築の最高傑作と言われている。
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天正少年使節団がこの教会に1カ月留まったとのこと。
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伊東マンショ他4人は、ここでどのような祈りを捧げていたであろうか・・
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壁面一杯に巨大な宗教画が取り囲んでいる。
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丘の上の城塞への道すがらであったが、良い教会を見ることができた。
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