ちゃおチャオブログ

日々の連続

奄美の3日間(13)おがみ山行幸広場からの眺め。

朝潮記念碑の分岐から緩やかな坂を2-3分登ると、行幸広場に出る。
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高さ凡そ100m程のこの広場からは名瀬の街が一望に見渡せる。
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14年前、今自分が建っているこの場所から両陛下も同じように眼下の街並みを眺めたのだ。
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ああ、昨日泊ったホテルニュー奄美も見える。9階建てで市内で一番高いから良く見える。
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広場の奥には山頂に通じる長大な階段が作られていた。
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今登っているおがみ山は、名瀬市内にある高さ200m程の小山で、昭和28年奄美群島が米国施政下より日本国へ返還・復帰した際に、公園として整備された丘である。山の入り口の直ぐ横には鹿児島県大島支庁の4階建ての大きな建物があり、市街地もこの山の直ぐ際まで迫ってきていて、交通至便な場所にあるので、もっと市民の遊歩者が多いかと思っていたが、途中行き会ったのは一組の夫婦だけ。曜日と時間帯によるかも知れないが、殆ど無人に近い山だった。山中にはガジュマルが自生しているが、奄美にはまだハブが生息しているので、藪の中を歩くのは避けて、アスファルト道を歩き、朝潮記念碑の分岐まで来た。

この分岐から100m程のだらだら坂を2-3分登ると行幸広場に出る。これは14年前陛下がこの島を訪れた際、それを記念して整備された展望広場で、凡そ100m程の高さの見晴らし台からは名瀬の市街地が一望に見渡せる。人口約4万人の名瀬の市街がコンパクトにまとまっている。昨日泊ったホテル・ニュー奄美も街中に見える。9階建てで町一番の高さのビルだから、直ぐに分かった。

陛下もこの高台に立ち、眼下の街並みを眺めたのだ。陛下は皇太子時代、既に沖縄を訪問していて、首里の丘から眼下の那覇の街を俯瞰し、又は三原山からの波浮の港、或いは千光寺の境内から眼下の尾道を眺めたであろうが、それぞれの港町、どの様に感じたであろうか。そう言えば以前自分も宇和島の城山から眼下の市街を眺めたが、情感としては宇和島尾道の方が今のこの光景よりも勝っているように思えた。それはここ名瀬は町と港とその先の海しか見えないが、上記の2市は更にその先に海峡があって、島並が見え、行き交う船も多かった。

この広場の奥には100段を越える長大な階段が作られていて、山頂まで続いている。陛下がここまで歩いてきたのか、或いはお召し車で来られたのかは知らない。又、歩いてきたとして、この長大な階段を登ったのか・・。そうした解説はどこにもなく、知る由もないが、こうした見事な階段を作った以上、両陛下もこの階段を登ったか、或いは上から下り降りたに違いない。この丘の山頂には日本復帰の記念塔が建てられている。残り100m、ここまで来たのだから、頑張って山頂まで登ってみよう。



山頂に向かってこの長い階段を登って行くが、途中休みながら眼下の街を眺める。
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階段を登ると更に小径が山頂に向かって続いている。
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ハイビスカス、その他の花を眺めながらゆっくり山登りする。
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花を見ながらの丁度良い一休みになる。
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東京ではもう既に紅葉の季節だが、こちらではまだ春の花が咲いている。
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