ちゃおチャオブログ

日々の連続

The Third Eye カトマンズへの道(8)デリーの人々。

5年前にこの素焼きの露店に来た時は、随分可愛い中学生位の女の子が店番をしていたが、今日はおばあさんが店番をしていた。浦島太郎の気持だ。
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客がいないのか、運ぶ荷物が無いのか、バイクタクシーの客席には犬が寝そべっていた。
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ああ、ここは2ルピー、40円バーバーだ。
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露店のクリーニング。アイロンがけをしている。
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デリーの街並みは50-60年前の日本、或いはそれ以前の戦前の状態かも知れない。牛に引かれた荷車が通りを歩いていたり、今はタイでも相当な地方へ行かないと殆ど見られなくなった自転車タクシー、タイではサムローと呼んでいるが、ここインドでは何故か日本の人力車から名前を取った「リキシャ」と呼ばれているが、日本と違って、日本では人が客台を引っ張っているのに対し、こちらでは自転車で引いている。人から自転車へ。日本で人力車が流行ったのは明治、大正時代だったから、こちらでは少しの進歩があったのだ。

素焼きと言えば、日本のかわらけ。以前京都の栂尾高山寺に登った時、その途中の神護寺境内で、前の谷に向かってかわらけを放り投げる贅沢な願い事のやり方があった。かわらけを1枚100円で買って、谷に投げるのだが、1日何百人の参詣者がそうするか知らないが、いずれにしても膨大な数のかわらけを作る必要がある。かわらけは古く飛鳥時代から使われていて、安価な什器なのだが、土から簡単に作られるものだろう。

5年前列車でブッダガヤに行った時、ガヤ駅まで迎えに来てくれたドライバーが、仏跡へ行く途中の小さな集落に立ち寄り、そこで小さな素焼きのコップに入れた紅茶を接待しくれた。何の積りでこんな場所に立ち寄るのか理解できなかったが、それがインド流の歓迎の仕方なのだろうと思って、甘いミルクテイを飲み干した。そうするとドライバー兼案内人はその飲み干したコップを近くの空き地に放り投げ、自分にもそうする様に促す。飲み終えたコップは当然店に戻すものと思っていたが、ここでは違うようだ。自分もコップを思い切り投げ捨てると、柔らかいコップは粉々に割れた。見るとその周辺にはそうして割られた素焼きの破片がうず高く積もっていて、小山のようになっている。ついその神護寺の谷を思い出したが、あれだけ深い谷だ。毎日何千枚のかわらけを投げ捨てたとしても、よもやあの谷が埋め尽くされることはないだろうと・・。

以前泊まったホテルStar Villaのすぐ近くに小さな広場があり、そこに中学生くらいの可愛い女の子が店番をしている素焼きの露店があって、その時は可愛い子を喜ばせてやろうと、幾つもの素焼きの置物等を買ったのだが、まだその少女がそこで店番をしているのか、様子を見に行った。もう5年も前の話だ。今もいるとすれば、二十歳前後の随分美人の娘さんになっているに違いない。 行った処がそこにはおばあさんの店番しかいなかった。僅か5年だから浦島太郎になった訳ではないだろうが、少しがっかりし、写真だけ撮って別の路地に向かった。

路地には庶民の身近な生活臭が色濃く出ている。露店の奥にミシンを2台出して、何かのミシン掛けをしている。裁縫をしているのか、ボタン掛けをしているのか・・、随分昔の日本の路上でもあった光景だ。狭い路地には本屋が数店向かい合うようにして店を構えている。店と言っても客が中に入れる訳ではなく、背の高いカウンター越しに客は店内に展示されている本を指して注文している。店の広さも2-3坪で、壁際にぎっしり本が詰め込まれている。

親子連れの客が買っているのを見ていると、それは学校の教科書のようで、一度に4-5冊も同時に買って行く。カウンターの上に積み上がられた教科書を見て、子供たちが嬉しそうに本を開いている。母親一人に2-3人、3-4人の子供が一緒についてきて、本の品定めをしている。母子家庭ではないと思うが、何組かの家族連れの客の中で、男親が一緒に付いてきているのは全く見ていない。これは母親の仕事と割り切っているのか・・。見ていて愛らしく、又すこし不憫にも思えてきた。貧しい家庭に違いない。自分に少しの勇気があれば、その本代、こちらで払ってやるよと、言いたい位だったが、どこの誰とも分からない旅行者。一歩を踏み出す勇気もなく、ただ母子と店主とのやり取りを傍で見ているだけしかできなかった。



これは又町の仕立て屋さんだ。ミシン掛けをしている。
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街の本屋さん。母親に連れられて、子供たちが教科書を買っている。
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街の雑貨店。機械や電気の部品などを売っている。
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街のジュース店で、毒々しい色のジュースを飲んでみる。
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