ちゃおチャオブログ

日々の連続

最悪のインド旅行記(17)かわらけ(素焼皿)と紅茶。

素焼きで出来たチャイカップ。飲み終えたら捨ててしまう。かわらけ投げのような気分だ。
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お土産で買ってきた土師器。果物など盛るのに丁度良い。
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インド風のデザイン。像の神様、ガネーシャだ。
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これは真鍮製の容器。実にカラフルだ。
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ベナレスの空港から町への途中、サールナート鹿野苑)に立ち寄ったことを携帯カメラの画像をみていて思い出したが、更にハタと思い出したのは、この途中、町外れの立ち飲みスタンドに寄って、紅茶を飲んだことである。この後、ガヤでも他の場所でも同様の経験があったが、インド人はちょっとした機会にこの紅茶を飲む、ということが習慣になっているようだ。勿論、圧倒的にコーヒー党より紅茶党だ。人口比率で言ったら8対2から9対1位に圧倒的多数が紅茶党で、当方もインド旅行中には紅茶を良く飲んだ。

そこは小さなキオスク程度のスタンドで、紅茶と、棚の上にはちょっとした駄菓子かクッキー・クラッカーが置いてある程度で、ドライバーはその紅茶スタンドの前に車を止め、彼に従ってキオスクスタンドへ行くと、既に5-6人の男がその周りで紅茶を飲んでいた。客は中年の男性がほとんどで、女性は全くいなくて、若い二十歳前後の青年や、六十歳を過ぎたような老人の姿も見えなかった。

ただ単に紅茶を飲む場所なのだが、青年や老人はこんな場所には来るものではない、との何かしら男の特権のようなものが感じられた。日本でもまだタバコ文化が華やかな頃、タバコを吸えるのは、ある種の特権だ、みたいなある種の優越感のようなものだった。

たかが紅茶。でも所得の貧しいインド人にとっては贅沢品かも知れない。だから収入の無い青年や老人はこういった場所には立ち入るべきではないし、空港から町までの僅かな距離ではあるが、遠来の客をもてなすのに、わざわざ立ち寄って紅茶のもてなしをする。そう考えると、この大きな樹木、菩提樹栴檀の木陰の下にある紅茶スタンドに案内された訳も分からないではなかった。

3か月前のトラピックスのツアーでも、昨日までの二日間のデリー滞在でも、こんな風にして紅茶を飲む機会はなかった。それは素焼きの小さなコップないし小皿に丸味を持たせたような容器に、炭火で温められた七輪の上のヤカン(薬缶)から程よく煮詰まった紅茶を注ぎ、出されたものであるが、実にインド的味わい。霧雨模様で少しひんやりした身体には人肌プラスの暖かい紅茶は薄からず濃い過ぎず、少しミルクも混じっているのかも知れない、実に味わい深いものだった。紅茶の文化がイギリス人から伝承されたものとは言え、今のインド人は掌中のものにしているようだ。

更に驚いたのは、飲み終えたその素焼きのカップを道路端に投げ捨てていることである。回収はしないで使い捨てだ。貧乏国の筈のインドで、こんな贅沢をしている。素焼きのコップを紙コップのように使い捨てにしている!何だろう、彼等の贅沢心、プライドなのだろうか・・。

本当に良い味わいで、当方はもう1杯お代わりし、飲み終わった後ドライバーの真似をして道路に投げ捨てた。以前、京都高雄の神護寺で、かわらけの投げ飛ばしをしたことがあったが、それを思い出した。もう20数年前になるがあの当時皿1枚が100円だった。ここでは二人分の紅茶代を合わせても50円もしない。当然自分のポケットから払っておいた。飲み終えたコップを道路脇に投げ捨てる。この貧しい国で、何か随分リッチな気分になることができた。道路傍のあちこちにはそうして投げ捨てられ、砕けて割れた小皿やコップがちょっとした小山のように重なっていた。飲み終え、投げ捨てた瞬間、彼等もほんのちょっとは気分の高揚があるのかも知れない。



一体、何の容器か不明だが、子供のままごと用に丁度良いかも知れない。
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これは素焼きの土師器。綺麗だが、もろくて直ぐに割れる。
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これも又赤ちゃんのママごとに丁度良い。
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インドでは、同炉端に七輪を置いて、温めたヤカンの紅茶を出してくれる屋台があちこちにある。1杯10円から20円程度。
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