ちゃおチャオブログ

日々の連続

The Third Eye カトマンズへの道(42)大統領官邸を眺め、プーナーキラーへ。

官庁街の正面に大統領府が建っている。堂々とした立派な建物だ。
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戦前のインド総督府、ヴァイスロイの館だったのか・・。
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大統領府の前から遠くインド門方向を眺める。
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これは日本でいう財務省か・・。トイレは借りられなかったが・・。
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インドが大統領制を取っているのは余り知られていない事実だ。それは政治的には首相の方が大統領よりも遥かに大きな権限を持っていて、大統領は云わば一種の飾りのような存在になっているからだ。それは兆度ドイツの大統領と似ていて、ドイツでも首相の方が遥かに有名だ。このインドやドイツと違って、フランスやロシアなどは、大統領が首相よりも絶大な権限を持っていて、プーチンなどは任期制限の関係で一旦は大統領から首相に落ち、自身の腹心メドベージェフを大統領にさせていたが、4年後には直ぐまた大統領に復活し、メドベージェフを下の首相に格下げさせて、再び絶大な権限を行使している。米国にはそもそも首相などは存在せず、最初から最高権力者として米国に君臨しているが、かのトランプさん、その権力を変な使い方をするので、米国民のみならず世界中の人々が混乱し、困惑している。

飾り物とは言え、大統領はインドの顔。それに相応しく官邸は広大な敷地の中にある。その敷地の後ろ側には更に広大なムガル庭園と緑地公園、保護林帯が広がっている。都心の中心部によくぞこれ程大きな緑地帯を保存しているのかと、インドの壮大な先見性に敬意を払いたい。その大統領官邸は、丁度東京の迎賓館のように鉄柵で囲われていて、自由に敷地内には入れない。鉄柵の間からクリーム色の大理石か砂岩でできたこったデザインの如何にもインド風の建物を眺める。この建物がいつ出来たかは知らない。多分戦前のインドがまだ植民地だった頃の大英帝国による建造だろう。ここにはインド副王、ヴァイスロイが居住していたに違いない。戦後インドが独立し、ヴァイスロイはインドから追放され、代わりに名目上の太守、大統領が住まうことになったに違いない。

5年前のトラピックスツアーでは、この辺りはバスでさっと通り過ぎただけで、インド門も遠くから眺めただけだった。だから熱心なツアーガイドもインド門にしても大統領官邸にしても、ただあそこに何がある、との説明だけで、具体的な詳しい歴史背景などの説明はなかった。もし少しでも下車して案内されたら、今よりは多少知識もあったかも知れない。大統領府の外観を眺めている間、又便意を催してきた。近くの役所、日本流に言えば財務省に当たるが、そこへ入ってトイレを借りようとした。そうしたら、衛視からここではトイレは使えない。公衆トイレに行くようにと指示される。そこでタクシーを捕まえ、官庁街を少し外れた交差点近くのトイレまで乗せてもらい、ついでにここから次の訪問先、プラーナーキラーへ行くことにした。そこも又5年前のツアーでは来ていなかった場所だ。



反対側には国防省などもある。
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さて、大統領府を後にして、次のプラーナーキラーに行くことにしよう。
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途中交差点の傍で公衆トイレに入る。なかなか奇麗だった。ここはその隣の道祖神を祀るような礼拝所。
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さて、プラーナーキラーにやってきた。ここは5年前のツアーには来ていなかった。
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