ちゃおチャオブログ

日々の連続

江南周遊(29)昼食レストランへ戻る。

昼食の集合時間が近づいてきたので、城門入り口に戻ることにする。
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これなども清朝時代の建物か・・
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この店は高級そうな調度品で飾られている。
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帰路は裏通りを通っていくことにしよう。
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清の王様が何回も訪問してきたという恵山古鎮の寄暢園周辺の土産店を眺め、そろそろ戻る時間になってきたので、古鎮入り口に向かって戻ることにした。これから昼食レストランへ向かうのだ。レストランは入り口の直ぐ近くの、少し横道にそれた場所にある。迷子にならないように、入り口方向を定め、ぶらぶら、帰りは一本裏の通りを歩くことにした。ここは店も少なく、観光客も少ない。裏通りまでやってくる観光客も余りいないのだろう。賑やかな通りの裏側がどんな風になっているのか、興味もあった。

銀座の裏通りではないが、この古鎮の裏通りは案外すっきりしていて、整然としている。この古鎮が昔からこんな奇麗な状態だったのかは大いに疑問で、大革命で一旦は滅茶苦茶にされた街区を州政府や無錫市政府の強力な後押しで、破壊前のゴミゴミした裏の顔から全く違う美人顔に作り替えたに違いない。昔の中国を知っている旅行者にはその違いは分かるが、過去を知らない若い旅行者には、中国は昔からこんなに清潔な国だったのだ、と錯覚させるかも知れない。多分、観光客向けに以前よりは相当奇麗に作り変えられているに違いない。

ぺッ、ペー、あちこち所かまわず唾を吐いていた中国人は今はどこにも見当たらず、犬のうんこや立小便も見られない。変われば変わるものである。これもすべては経済の上昇によって齎されたものだ。命の次に大事なお金。お金次第で人も変わるし、国家も変える。豊かになることは良いことだ。

もう一度最初に入ってきた古鎮城門の前に出て、右手に回った先にレストランはあるのだが、前方正面に恵山が見える。それ程高くない穏やかな丘陵だ。せいぜい200m程の高さの小山か。それでも湿地帯、運河が縦横に走る平原のこの辺りでは、ひと際高く見えるのだろう。土地の名前、山の名前は何千年経っても昔のままだ。2500年前の呉越の人々、2000年前の三国志の人々が呼んでいた山の名前を今でも使ってる。この辺りでは大地震や大洪水などの土地の転変もないから、3000年前の人々が見ていた山容を今自分も同じように見ているのだ。


裏通りと言っても、随分奇麗いすっきり整理されている。
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この店は子供のおもちゃ等を売っているようだ。
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いやー、すごい量のランターン。何かの飾り用か・・。
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ああ、前方に恵山が見える。・・200m程の小山だ。
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