ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場・徳島編(25)平等寺大師堂にお参りし、薬王寺へ。

平等寺山門を出た横に大師堂がある。
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大師堂にお参りする。
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医王閣の額がかかっている。
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中の祭壇。
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平等寺は珍しく山門の外に大師堂があって、この寺も又長曾我部の打ち壊しにあって一時は荒廃し、漸く江戸時代になってから再興なったと言われているが、そうした長い歳月の変遷、転変の中で、こんな風な造りになったのかも知れない。

お大師様にお参りし、この寺を出ていくが、白く濁った霊水がどこから湧き出ているのか、先達の山中さんに聞き漏らしてしまい、写真撮影は出来なかった。寺を出る途中の参道で、先達さんが木鐸の前で立ち止まって、何かの説明をしていたが、霊水は、多分この辺りの付近から湧き出たのかも知れない。現代のように医学が発展していなかった明治期以前の人々にとって、病気平癒は神仏にすがるより他に方法はなかったのかも知れない。

そのお薬師さん、薬師如来をご本尊とするもう一つのお寺、薬王寺が次の参詣先になる。この薬王寺は以前来たことがあり、日和佐の町の海に面した丘の上にあり、その宝塔は大きく立派で、記憶に残っている。日和佐は平等寺のある阿南市からは一旦南下して、徳島とは反対方向に向かうが、この寺は徳島県内、阿波一国の中では一番南に位置するお寺である。

二十三番薬王寺の次は室戸岬先端にある二十四番最御崎寺になるが、この2寺間の距離が八十八寺の中での一番長いお遍路道と聞いている。自分は以前高知から長い海岸線に沿って北上し、最御崎寺からこの寺にやってきたが、奇麗な砂浜の浜辺があったり、ウミガメの産卵地などもあって、単調な筈のドライブをかなり楽しませてもらった記憶もある。

以前やってきた時は、この日和佐から入り組んだ海外線に沿って阿南まで北上したが、今は立派なバイパスが出来ていて、阿南からは長いトンネルを通り抜けた直ぐ先がもう日和佐になっている。10年20年はあっという間に過ぎて、その間、地方の道路も見違えるほど整備されてきている。トンネルを出て、日和佐の町に入って直ぐに見覚えのある薬王院の前に出て、バスを降りる。目の前に多宝塔が建っていた。



木鐸の前で説明する先達の山中さん。
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平等寺のある阿南市からはバイパスを通り、日和佐の薬王寺にやてきた。
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この寺は日和佐の丘の上にあって、眼下の街並み、港が一望だ。
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向かいの小山の中には日和佐城(観光施設)も見える。
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