ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場・徳島編(33)大日寺にお参りし、焼山寺へ。

大日寺本堂への参拝を済ませ、続いて大師堂へ。
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大師堂での参拝。
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本尊、十一面観音は上手に撮影できなかった。
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続いて神山町を通り向け、剣山の山懐にある焼山寺に向かった。お寺の直下までマイクロバスで行き、直下の駐車場付近から眺めた吉野川源流付近の山並み。
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韓国出身女性が住職を務める珍しいお寺。全国20数万ケ寺ある中で、女性住職のお寺も何ケ寺はあるだろうが、韓国女性が住職というのは、全国広しと言えども、この寺だけだろう。だけれども、寺の佇まいは他の八十八ケ寺と変わるところはない。そこにハングル文字が氾濫しているとか、キムチの匂いが漂ってくる、ということはない。この寺は、元々は道路の向かい側にある一宮神社の別当寺として、長らく信仰されてきたので、神仏分離されたからと言って、昔のままの様式が変わるわけでもない。そうした関係でこの寺は以前は一宮寺と呼ばれていたが、明治以降、寺名を変更し、現在の大日寺になったとのことである。

お寺での参拝を終え、駐車場まで戻る途中の道沿いに旅館風の2階建てがあり、宿坊との看板が出ていた。だが、同時にその横に現在閉鎖中とのお知らせも出ていた。二日間お寺に併設される幾つかの宿坊を見てきたが、その多くに閉鎖中との案内が出ていた。車社会の現代、歩き遍路の数も減って、こうした宿坊の経営は成り立たなくなっているのだろうかと、添乗員に聞いてみると、数年前に改正された旅館営業法で、トイレや衛生設備の改装が必要になり、小規模の民宿経営ではそれだけの費用を掛けられず、閉鎖に追い込まれている、との説明であった。道路際の窓から中を覗いてみると、6畳位の古部Ýか幾つか並んでいた。

再び例の韓国伝統芸能の看板のあるスタジオ小屋のある駐車場に戻り、これから剣山の麓、神山町にある第十二番焼山寺に向かう。歩き遍路だと十一番藤井寺~十二番焼山寺~十三番大日寺と順番通りに巡るのだが、バスでの巡拝なので、行き順が都合の良いように、反対順に回る。大日寺を出るとバスは山間部の集落地を走り抜け、剣山の山懐に向かって走っていく。歩車道の区別ない道路際を時々お遍路さんが歩いている。日本人よりかむしろ外国人、特に白人男女の姿が多いようだ。大日寺から焼山寺までは約12キロの山道。大変な労苦であるに違いない。

この焼山寺は焼山と呼ばれる標高900mを越える山の中腹にあり、八十八ケ寺の中でも三番目に高い場所にある。神山の町を通り抜け、お寺の取り付け道路のギリギリ、観光バスが入れる直前まで行って、そこで小型のマイクロバスに乗り換え、2台に分乗して急な山道を登っていく。対向車とすれ違うのがやっとの狭い山道で、1回下ってきた乗用車と鉢合わせしたが、登り優先、乗用車がやや広がった場所まで100m以上もバックしてくれて、漸くすれ違うことができた。お寺の直下の駐車場からは更に300m程の坂道を登り、漸く山門に到達した。「摩盧山」と書いてある。この文字は何とか読むことが出来た。その山門の手前、森が開けた辺りからの吉野川源流付近の眺めは実に新鮮だった。



そこから又300m程の坂道を歩き、焼山寺に向かう。
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山門に掲げられた山号、摩盧山は何とか読めた。
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このお寺は八十八ケ寺の中でも三番目に高い場所にある。
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ここの御本本尊は虚空蔵菩薩真言宗十三佛の中の最後の佛だ。
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