ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場・徳島編(35)焼山寺にお参りし、麓のうどん店で昼食。

焼山寺山号は摩盧山。摩盧の意味は水輪とのことである。
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深い杉木立の参道をマイクロバス駐車場まで下っていく。
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お寺直下の駐車場付近から吉野源流の山並みを見る。人家がポツンポツンと見える様子は奥多摩の源流の山並みを思わせる。
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麓の集落へ下る途中に衛門三郎と大師邂逅の像が建っている。
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四国山中、奥深い山の頂にある焼山寺は、天武天皇時代の山岳修行者、役小角(役の行者)が切り開いた寺。元々は修験道の寺だった。役小角は日本全国の霊峰を渡り歩き、東京では高尾山が有名で、高尾山山門を入って直ぐの場所に小角を祀る行者堂も建立されている。そのお堂には神変大菩薩の額が掲げられているが、即ちそれは初期の神仏習合、山伏であって大菩薩なのだ。小角は山岳修験道の開祖で、様々な験力を持つ異能の持ち主で、一晩で伊豆大島と高尾の間を往復したとも伝えられている。

お上にまつろわぬ山の民、さんか。さんかはサンガに通ずるか・・。山の民修験道の祖役小角は仏教にも通じていて、最澄が最初に日本に紹介した密教も習得していたとのこと。小角は行者であって大菩薩だったのだ。山の民は深山を渉猟し、金銀鉱物を掘り当て、薬効にも験があった。ほぼ100年後に生を受けた空海は、役小角の後を追うようにこの寺にやってきて、蔵王権現から虚空蔵菩薩を本尊に代え、更に又吉野金峯山寺にほど近い場所、高野山金剛峯寺を建立した。100年の命脈は形を変えて空海に引き継がれてきたのか・・。

つっかえつっかえ虚空蔵菩薩真言を唱和し、焼山寺山門を後にする。たまたま読めた山号、摩盧、その意味を先達に聞いた処、それは水輪を意味するとの事。水輪とは仏教でいう処の五輪、地・水・火・風・空の水のことであり、この山焼山寺の火消しの役割を表しているとのことだった。その山門を少し下った場所にマイクロバスの駐車場があり、そこからは吉野源流の山並みが見渡せた。空海が見たであろう、胎蔵界曼陀羅の世界だった。

ここからはマイクロで一気に麓の集落まで下り降りるのだが、帰りは幸いに行違う車も無く、危ない思いもすることもなかった。途中で1か所古びた家屋があり、その前に銅像が置かれている。バスを止めての先達さんの説明では、この像は衛門三郎とのこと。衛門三郎は伊予の豪農だったが、生前不幸に見舞われ、一念発起お遍路に出て、21回目にしてこの場所でお大師と巡り合わせたとのこと。その直後、この場所で亡くなった。お遍路の祖と言われていている人で、又この坂がお遍路転がし、と言われている所以でもある。車窓からその像を眺め、マイクロは麓の垢取川の手前のうどん店前で止まる。昼食はこのうどん店でのわんこうどんの食べ放題。お替り自由とのことだ。さあ、頑張って食べるぞー!



杖杉庵。衛門三郎はお遍路の元祖で、大師を追い求め20回遍路し、21回目、逆打ちしてようやくここで大師に巡り合い、亡くなったとのことである。
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マイクロバスは一気に坂を下りおり、麓の垢取川そばのうどん屋で昼食となる。
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お替り自由のわんこうどん。自分は3杯お替りした。
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後からやってきたフランス人の歩き遍路。我々ツアー客がうどんを全部食べ切って、今日の食事はもうなく、がっかりした様子。
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