ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場・徳島編(37)第十一番藤井寺に参拝.

藤井寺大師堂。
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本堂の前で先達の話を聞く参会者。
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本堂は江戸時代末期に再築された.
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本堂の天井に描かれた雲龍の天井画。
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四国八十八寺霊場の全部が全部真言宗のお寺という訳ではない。この内の数ケ寺は真言宗以外のお寺である。数は少ないが。この藤井寺もそうしたお寺の一つで、臨済宗妙心寺派のお寺である。ここは元々は空海が開いたお寺で、この境内の山上に八畳岩という岩棚があり、空海はそこに護摩壇を作り、この寺を真言密教の道場にしたとのことである。従って戦国時代以前には随分と栄えていたようだが、徳島県内の他のお寺と同じように戦国時代に長曾我部の焼き討ちに遭い、江戸の初め頃は殆ど見る影もないあばら寺になっていたとのことである。

江戸期元禄の少し前の頃、臨済宗の高僧がこの寺にやってきて、その後この寺は真言宗から臨済宗に変わった、とのことである。尚、この寺は、ふじいでら、と呼ばれるが、八十八寺の中で、「じ」ではなく、「てら」と呼ばれるのはこの寺だけである。尚大阪阪南に藤井寺という市があり、同名の球場もあるが、そこは葛井寺(ふじいでら)から由来している名前で、四国のこの藤井寺とは全く関係はない。

藤井寺の名前は藤の花から来た名前で、空海が八畳岩に護摩壇を作った当時、この境内に藤を植えたことから始まるという。大師御手植えから既に1200年も経っていて、今見る藤棚は何世代目になるのだろうか。藤は強い。お寺が廃れ、見る影もなくなっても、毎年季節になれば花を咲かせる。それで今は見事な藤棚になっている。2週間早ければ、5色の藤が咲き乱れている様が見られたのに・・。
そうだ、この寺は宗派は途中で変わっても、今藤が1200年の命を繋いでいるように、御本尊は薬師如来で変わらない。大師が自ら厄払いと衆生の安寧を願い彫られて薬師様と伝わる。おんころころ せんだぎ まとうぎ そわか


扁額は難しい文字で、読めない。
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本堂の裏手には次の焼山寺に向かうお遍路道の入り口がある。焼山寺道、お遍路転がしの始まりだ。
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こちらは2丁先の八畳岩の護摩壇へ向かう山道。
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奥に白蛇弁財天堂が見える。
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