切幡寺本堂。
第十番切幡寺本堂でのお参り。
切幡寺大師堂へのお参り。
この山の高台に重文の大塔があるが、今日は時間がなく、そこまでは行けない。
ハサミを収めた供養塔。
二泊三日、四国お遍路徳島の旅も、いよいよ最後となった。ここ阿波市切幡にある第十番札所切幡寺に最後の参拝を済ませ、この後は徳島空港へ直帰する。3日間の間に徳島県内の札所22寺を参拝し、今日最後のこの寺で23か所目、阿波一国の札所巡りは完結する。333段の石段を登って、後からやってきた団参のメンバーが揃うのを待って、今回ツアー最後の唱和を行う。
本堂と大師堂、それぞれ1回づつ般若心経を読経し、この寺の御本尊千手観世音菩薩の真言、おん ばざらたまら きりく を唱える。各寺で毎日何回も般若心経を唱えてはいるが、このお経に関しては自分は以前から暗唱していて、夜寝る前には必ず1度仏壇の前で唱え、1日が無事過ぎたことのお礼をしているが、真言についてはなかなか暗記できない。毎度繰り返す発菩提心真言及び三摩耶戒真言、更には光明真言はどうやら暗唱できるほどにはなったが、寺寺で異なる十三佛真言に関しては、まだ無理だ。この寺の千手観音菩薩は十三佛には入っていないが、他の十一面観音菩薩や馬頭観音と共に、5佛の御本尊に位置付けられていて、真言も覚えておく必要がある。
本堂、大師堂にそれぞれお参りし、本堂横手の幡切観音にもお参りし、この寺を最後にする。本堂裏手の少し小高い場所に重文の大塔が建っているが、これは下から見上げるだけにして、下山することにした。この大塔は豊臣秀頼が父秀吉の供養の為に大阪市内のお寺に建立したものだが、明治の廃仏毀釈の後、大坂からこの地に移築されたものである。
切幡寺の幡切観音。寺伝によれば、空海がこの地にやってきた時、僧衣がほつれ、その繕いを娘にお願いした処、その娘は機織り中の布を割いてほつれを直したとのこと。空海はそれに感激し、娘の願いを聞いてやり、千手観音像を彫り、娘の父母の供養にしたとのこと。その時、娘を得度させ、灌頂を授けた処、娘はたちまち即身成仏し千手観音の姿になったとのことである。得度山灌頂院切幡寺の由来である。右手にハサミ、左手に布を持った観音像。三十三変化する観音像。この美しい銅像は昭和の初め、地元有志、寄進者により建立されたとのこと。美しい観音だ。
最後にその幡切観音像にお参りし、又タクシーで麓の駐車場まで下り、土産店にて石段組が下りてくるのを待ち、徳島空港へ向かった。空港には珍しく金陵の小瓶が置いてあって、隣席で知り合った藤波さんと飲みあう。飛行機の隣には、律義な油井さんと隣り合わせ。彼は藤沢から来ていて、毎度この巡礼ツアーに参加しているとのことである。当方が補陀落で買った頭陀袋を大変気に入り、観音信者であるある油井さんとは機中話が絶えなかった。又次回巡り合えると嬉しいが・・・。
(続)
はたきり観音にお別れをし、今回ツアー、徳島編の最後とする。
夕方、徳島空港に到着。
今晩8時半のJAL機にて羽田へ。
キオスクで珍しく金陵が置いてあり。機内に持ち込む。
2泊3日、巡礼の旅、23ケ寺に参拝でき、得る処多かった。少しばかりは妻への供養になったか・・。