ちゃおチャオブログ

日々の連続

12年ぶりの石垣島(14)トニーさんの店を後にホテルに戻る。

  • 12年前のトニーさんの店の様子。今と殆ど変わらない。

    f:id:commodore:20210318215658j:plain12年前のヒージャー汁(ヤギ汁)。これも又、今日のと変らない。

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    • 12年前のこの立て看板は今は取り払われていた。ビールの値段は今と変わらない。

      f:id:commodore:20210318215828j:plain12年前のおーりとーり。昔のままだ。

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    • 通事の家に生まれ育ったトニーさん。家柄のなせる業か、若い頃より外国への憧憬が強く、外国航路の船員になったり、一時は屋久島に住んで事業をしたりしていたが、沖縄復帰前には地元の石垣に戻ってきたそうだ。Lonely Planet,自分は知らなかったが、Inaさんはこの国際的な旅行ガイドブックを知っていて、トニーさんの自慢は、この店がガイドブックに3回も紹介され、そのせいかどうか、外人観光客が、わざわざ石垣のこの店までやってくる、とのことだった。司馬遼太郎の「街道をゆく」に紹介されたのは、もう30年以上も前のことであるが、このLonely Planet,は比較的最近の事らしい。彼は司馬遼太郎については余りよく知らないようだが、作家の庄司薫だったか、椎名誠だったか、懇意にしていて、彼も何回かこの店にやってきて、紀行文などに店の事が紹介されたこともある、と、これも又多少自慢めいて話していた。85歳。存分に人生を生き切っている。

沖縄は政府の非常事態宣言の範囲外ではあるが、デニーさんの特別の計らいで、沖縄独自の規制を行っていて、夜8時までの閉店に対し、1日4万円の補償が出るとの事。この店、栄福食堂もそれを遵守し、7時には閉店しているとのことである。観光客も少なく、夜7時過ぎに飲み屋でもない普通の食堂にやってくる人もいないのだろう。むしろ、父ちゃん母ちゃんの二人で切り盛りしている店にとって、1日4万円、月に120万円の補償金は天から降ってきたような恵みの雨で、内心ではこの規制がいつまでも続いてほしいと願っているかも知れない。トニーさんの愉快な話を聞いている内に、あっという間に7時になって、店を出る。

石垣にやってきて二日目。町を歩き、通りを眺め、段々と12年前の思い出も蘇ってきた。その前の30年前の記憶は殆ど蘇らず、唯一、古いフェリー乗り場から、ポンポン船のような連絡船で竹富島へ渡ったこと位だ。夜の7時だというのに、殆ど人通りの絶えた大通りをホテルに向かって歩いて行くと、矢張り見覚えのある730交差点に差し掛かり、交差点と取り巻く建物群は良くは覚えていないが、ここが沖縄復帰時の国道最南端で、当時、通行が米国式の右側通行から日本式の左側に変更された日、「7月30日」、を記念して整備された交差点だった。ホテルはここから4-5分の場所にある。

 

人通りの絶えた通り。

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通りにはシックな店もあった。営業中のようだ。

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当時の730交差点。

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ここは最南端、最西端の国道だ。

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