夕刻のヤンゴン空港に到着した。
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空港ビルはミャンマー風の凝った建物だ。
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通関に向かう乗客。
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タクシー客引きの煩さは嘗てのスワナブームや、タンソンニュット変わらない。
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漸くタマダホテルに着いたが、その豪華さに驚き。
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控えの間、リビング、心室、キチン、食堂、等々4部屋以上もあった。
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嘗てこの地に最初に降り立ったのは40数年前。まだ22歳の学生の頃だったから、正確に言うと今から43年前のことである。それは今回とは逆方向にカルカッタからやってきたのだ。そう、今ではカルカッタの地名も無くなり、この町もヤンゴンと呼ばれている。旧植民地、英国時代から呼び習われてきた地名を民族固有の名前で呼ぶのは良いことだ。これからは当方もミャンマーと呼び、ヤンゴンと呼ぶことにしよう。
当時の空港が今のこの場所にあったかどうかは定かに覚えていない。小さくて、埃っぽくて、町の真ん中に大きなパゴダが立っていたことだけは良く覚えている。確か、1日2日の滞在ですぐにバンコクへ旅立った。バンコクやコルカタの印象が強く、この町のイメージがすっぽり抜け落ちていたのかも知れない。
今日の空港は近代的で、ビエンチャンやダナン、チェンマイ辺の空港とそれ程変わらない。どこにでも近代化の波はどんどん押し寄せてきている。入管も全くスムーズにパスし、カスタムの外に出ると、嘗てのスワーナブームやタンソンニュットのように大勢の客引きがわっと一斉に寄ってきて、「タクシー、タクシー」と喚いている。彼等の大切な収入源だ。
今晩のホテルはAgodaで事前に予約してあったから、行き先に困ることも心配もないのだが、たまたまバンコクで空港までリンクで乗り合わせた韓国人ビジネスマンが、日本語で、しきりに一緒に町まで行こうと誘うので、そうすることにした。彼は一時大久保にも住んでいて、現在はハノイに事務所を構え、今回は新たなビジネス発掘の為、ベトナム人の現地妻とこのヤンゴンへ来たとのこと。
韓国人の定宿としているレインボウホテルからの迎えの車が中々やって来ず、かなりの時間のロスになったが、ここまで待って断るのも気が引け、黙って付き合う。若い韓国人青年が二人やってきて、送れた理由を様々に言い訳しているようだ。この町もバンコク同様、交通渋滞がかなり激しくなっているようだ。同じような光景はサイゴンでも見たが・・。
レインボウで4人が降り、若い韓国人が7000チャットを運転手に渡し、タマダホテルまで送ってくれる。それ程大きなホテルではないが、案内された部屋は超豪華。1泊35ドルとは思えない程の豪華さで、部屋が3つも4つも付いている。これが植民地風のホテルの造りなのか・・。英国人が如何に贅沢をしていたか、この部屋の造りを見れば分かろうと言うもの。
ミャンマーはタイよりも30分時差が遅れる。今既に東京時間11時を過ぎているので、ここではもう9時近くになっている。兎も角お腹が空いた。このホテルは繁華街からは少し離れているみたいだ。兎も角、このホテルの1階のレストランへ行き、空腹を満たすことにした。
当時の空港が今のこの場所にあったかどうかは定かに覚えていない。小さくて、埃っぽくて、町の真ん中に大きなパゴダが立っていたことだけは良く覚えている。確か、1日2日の滞在ですぐにバンコクへ旅立った。バンコクやコルカタの印象が強く、この町のイメージがすっぽり抜け落ちていたのかも知れない。
今日の空港は近代的で、ビエンチャンやダナン、チェンマイ辺の空港とそれ程変わらない。どこにでも近代化の波はどんどん押し寄せてきている。入管も全くスムーズにパスし、カスタムの外に出ると、嘗てのスワーナブームやタンソンニュットのように大勢の客引きがわっと一斉に寄ってきて、「タクシー、タクシー」と喚いている。彼等の大切な収入源だ。
今晩のホテルはAgodaで事前に予約してあったから、行き先に困ることも心配もないのだが、たまたまバンコクで空港までリンクで乗り合わせた韓国人ビジネスマンが、日本語で、しきりに一緒に町まで行こうと誘うので、そうすることにした。彼は一時大久保にも住んでいて、現在はハノイに事務所を構え、今回は新たなビジネス発掘の為、ベトナム人の現地妻とこのヤンゴンへ来たとのこと。
韓国人の定宿としているレインボウホテルからの迎えの車が中々やって来ず、かなりの時間のロスになったが、ここまで待って断るのも気が引け、黙って付き合う。若い韓国人青年が二人やってきて、送れた理由を様々に言い訳しているようだ。この町もバンコク同様、交通渋滞がかなり激しくなっているようだ。同じような光景はサイゴンでも見たが・・。
レインボウで4人が降り、若い韓国人が7000チャットを運転手に渡し、タマダホテルまで送ってくれる。それ程大きなホテルではないが、案内された部屋は超豪華。1泊35ドルとは思えない程の豪華さで、部屋が3つも4つも付いている。これが植民地風のホテルの造りなのか・・。英国人が如何に贅沢をしていたか、この部屋の造りを見れば分かろうと言うもの。
ミャンマーはタイよりも30分時差が遅れる。今既に東京時間11時を過ぎているので、ここではもう9時近くになっている。兎も角お腹が空いた。このホテルは繁華街からは少し離れているみたいだ。兎も角、このホテルの1階のレストランへ行き、空腹を満たすことにした。
1階のレストランで遅い夕食。
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ふた皿は一人では食べきれない程の量。
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こうした濃い料理にはミャンマービールが又会う。
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食後、サイカ(人力自転車)に乗って夜の町を散歩。3000チャットは先のタクシー代と比べると暴利。
![イメージ 10](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/c/commodore/20010101/20010101214850.jpg)